釜沢村(読み)かまざわむら

日本歴史地名大系 「釜沢村」の解説

釜沢村
かまざわむら

[現在地名]長岡市釜沢町

大峰おおみね(五六六・四メートル)南蛮なんばん(四六三メートル)の谷間から流れ出た釜沢川が西流して平野部に出る直前の南北両河岸段丘に挟まれた地にある。志度野岐しとのき下条げじように属して蒲沢かばさわと称した。地内の満願まんがん寺旧蔵の鰐口は応永二四年(一四一七)七月吉日鋳造のもので、刻銘に「古志郡(ママ)脱庄下条蒲沢山鰐口」とある。文明(一四六九―八七)頃の長尾・飯沼氏等知行検地帳(上杉家文書)には飯沼弾正左衛門尉分高波たかなみ保に三位蒲沢満蔵房寄進分が記載され、石坂八方寄進の「蒲沢満願寺衆徒中」の田地も記される。


釜沢村
かまざわむら

[現在地名]二戸市釜沢

野々上ののうえ村の北西馬淵まべち川が大きく迂回する扇状地に位置する。二戸郡でただ一村三戸通に属した。奥州街道が通り、舌崎したざきには幅四〇間の渡場があった(新撰陸奥国誌)みちうえにある釜沢館跡は、本姓を小笠原氏とする釜沢氏の居館跡で、釜沢館(本城)と常楽寺館(古館)の東西の二郭からなる。釜沢氏は天正一九年(一五九一)九戸政実の乱に際して、九戸方に荷担し南部信直に討たれたと伝える。正保国絵図村名がみえ、高一七五石余。


釜沢村
かまざわむら

[現在地名]糸魚川市釜沢

粟倉あわくら村の北。うみ川対岸は真木まき村。正保国絵図に村名があり、天和三年郷帳に鎌沢村と記し、高一四七石八斗余で、うち山高一石一斗余がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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