朝日日本歴史人物事典 「鉄竜海」の解説
鉄竜海
明治時代の出羽湯殿山の即身仏(即身成仏した行者のミイラ)。南岳寺(山形県鶴岡市)に祀られる。江戸後期に出羽国仙北(秋田県仙北町)の農家に生まれる。16歳のときに喧嘩で友人を殺し,放浪しながら物乞いにきたところを南岳寺住職に助けられ,一世行人となる。文久2(1862)年に1000日,湯殿山奥の院近くの仙人沢山籠修行が成就。即身仏を志すが病気になり,埋葬後3年して遺体を掘り出し即身仏にしてほしいと遺言し,62歳で病死した。しかし明治13(1880)年に刑法が制定され,墳墓発掘と遺体損壊が禁止されたため,熱烈な信者が官憲の目を盗んで鉄竜海の遺体を墓から掘り出してミイラづくりをした。旧南岳寺境内に,「明治14年10月28日」の日付が彫られた鉄竜海の石碑があり,この日付に遺体発掘が行われたのではないかと推定されている。湯殿山では入定後3年して掘り出すといういい伝えがあるので,没年は明治11年ごろとも考えられる。遺体の腹部は横に18cm切開され,内臓を取り出し,石灰が充填されている最後の即身仏である。<参考文献>内藤正敏『ミイラ信仰の研究』,日本ミイラ研究グループ編『日本ミイラの研究』
(内藤正敏)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報