銀座跡(読み)ぎんざあと

日本歴史地名大系 「銀座跡」の解説

銀座跡
ぎんざあと

[現在地名]中央区日本橋人形町一丁目

甚左衛門じんざえもん町と播磨姫路藩酒井氏中屋敷の東、元大坂もとおおさか町の南にあった。慶長一七年(一六一二)駿府から銀座役所が江戸に移され、通町の京橋より南方に四町の屋敷を与えられて設置された。この地は新両替しんりようがえ町二丁目東にあたる。銀吹・銀改役は慶長六年以来和泉さかい(現大阪府堺市)出身の町人大黒屋(大黒常是)に委ねられており、江戸銀座の改役は大黒屋江戸家が世襲した(安永八年「銀座由緒書」御府内備考など)。寛政一二年(一八〇〇)五月、江戸家八代目の長左衛門(常房)が座人年寄・行事一同の不正事件に連座して家は断絶となり、京都家一〇代目作右衛門常好が江戸に呼ばれて事後の処理をし、一二月に京橋から播磨姫路藩酒井氏屋敷の上地分一千八七一坪を給されて移転した(大黒常安覚書・銀座掛御用留)


銀座跡
ぎんざあと

江戸時代に置かれた銀座跡。慶長一九年(一六一四)すすきはらに長崎銀座が設けられたとされ(「銀座年代記」長谷川家旧記)、元和二年(一六一六)の設置ともいわれ(長崎志)、京都銀座から二人ずつ派遣されていたという(崎陽群談)。「長崎記」によれば、元和元年に正覚しようかく寺内に設置され、のち原に、さらに大村おおむら町に移転したという。「銀座書留」では島原しまばら町の北入込とする。銀座は本来は銀貨鋳造する施設であるが、長崎銀座は良質の灰吹銀の海外流失を監視するという目的で設置された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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