銚子口村(読み)ちようしぐちむら

日本歴史地名大系 「銚子口村」の解説

銚子口村
ちようしぐちむら

[現在地名]春日部市銚子口・豊野町(とよのちよう)

赤沼(あかぬま)村の西に位置する。村の南西端を古利根川、北東端を庄内古(しようないふる)川が流れる。葛飾郡松伏(まつぶし)領に属した(風土記稿)。江戸時代を通じて幕府領であったと思われる(田園簿・改革組合取調書など)。田園簿では田一三六石余・畑二三九石余。元禄八年(一六九五)武蔵国幕府領総検地の一環として検地が実施され、同一〇年の検地帳(川鍋家文書)では高四七九石余、反別は下田一〇町二反余・上畑九町六反余・中畑二〇町一反余・下畑二六町七反余・下々畑三町二反余・屋敷四町余。ほかに林一町八反余(五〇ヵ所)があり、林銭永四五八文が課されている。


銚子口村
ちようしぐちむら

[現在地名]金沢市銚子町(ちようしまち)

医王(いおう)山西麓、浅野川上流右岸の河岸段丘上に位置。北は上田上(かみたがみ)村。村名は付近の浅野川の堰が形成する地形にちなむという(加賀志徴)。天文六年(一五三七)七月二日、坂本(さかもと)(現滋賀県大津市)の樹下修理大夫の依頼を受けて、同月六日本願寺証如が知行回復を申付けた近江日吉社領四ヵ所の内に「銚子口」が含まれる(賀州本家領謂付日記)。正保郷帳によれば高二〇四石余、田方五町・畑方八町六反余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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