日本歴史地名大系 「赤沼村」の解説
赤沼村
あかぬまむら
赤沼村
あかぬまむら
赤沼村
あかぬまむら
赤沼村
あかぬまむら
現郡山市南東部の阿武隈高地の西側傾斜地、西流する
赤沼村
あかぬまむら
赤沼村
あかぬまむら
地名は永仁二年御配分系図(相馬文書)の相馬胤氏の項に「赤沼六町」、胤顕の項に「赤沼四町」とみえる。応安五年(一三七二)一二月二日、「高城保内赤沼郷」を相馬讃岐次郎に安堵する旨の奉書(同文書)が左衛門佐(斯波詮持か)から発せられ、これを受けた沙弥清光打渡状(同文書)が同月一一日に出されている。
赤沼村
あかぬまむら
赤沼村
あかぬまむら
- 長野県:諏訪市
- 赤沼村
諏訪湖の東南の平坦地、
「諏訪郡諸村並旧蹟年代記」は、「往古水溜水出入も無之赤く渋水故斯云しや」と、この村の立地条件から村名の由来を考証している。
赤沼村
あかぬまむら
赤沼村
あかぬまむら
- 秋田県:能代市
- 赤沼村
米代川によって分断され、南側は三方を
正保四年(一六四七)の出羽一国絵図に
赤沼村
あかぬまむら
赤沼村
あかぬまむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報