千葉県銚子市の民謡。同地方の漁民がイワシの大漁のおりに歌ってきた祝い唄(うた)で、その源流は、江戸時代後期、読み売りや心中節売りの人々が歌っていた『一つとせ』とか『心中節』とよばれるものである。ところが1864年(元治1)銚子が未曽有(みぞう)のイワシの大漁でにぎわったので、その記念に「大漁唄」をつくることになり、網元の網代(あじろ)久三郎、松本旭江、俳諧(はいかい)師の石毛利兵衛が相談の結果、10首の歌詞をつくり、常磐津(ときわず)の師匠遊蝶(ゆうちょう)が『一つとせ』を母体に節付けをした。そして清元(きよもと)の師匠である川安楼のきん子が振をつけ、さらに前奏に「阿波囃子(あんばばやし)」、後奏に「早囃子」を加えてまとまったところで、川口明神へ奉納された。その後、銚子市松岸の開新楼が花魁(おいらん)の総踊りにこの唄を用いたため、沿岸部一円に広まっていった。
[竹内 勉]