日本歴史地名大系 「錦寺町」の解説 錦寺町にしきてらまち 大阪府:堺市堺錦寺町[現在地名]堺市錦之(にしきの)町東(ひがし)二丁柳錦大工(やなぎにしきだいく)町の東にある寺院街区(→寺町)。元禄二年(一六八九)堺大絵図に北十萬(きたじゆうまん)・浄光(じようこう)寺・浄因(じよういん)寺・浄得(じようとく)寺・福成(ふくじよう)寺の五寺を記す。浄光寺は北星山と号し浄土宗。弘治元年(一五五五)徳蓮社大誉の開創。浄因寺は錦光山と号し浄土真宗本願寺派。天正六年(一五七八)尊正が七堂(しちどう)浜に開創し、のち現在地に移転。尊正は俗名を名和修理介といい雑賀の郷士であったが、石山(いしやま)本願寺(跡地は現東区)を開城した際、鷺森(さぎのもり)別院(現和歌山市)に退いた顕如に仕え弟子となった。浄得寺は大覚山と号し真宗大谷派。はじめ海船(かいせん)浜に行基が創建したと伝え、俗に海船御堂と称して七堂伽藍を構えたが、旧地に伽藍(がらん)町・七堂という名称を残す(→柳之町上浜 →海船町)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by