福成寺(読み)ふくじようじ

日本歴史地名大系 「福成寺」の解説

福成寺
ふくじようじ

[現在地名]出石町内町

うち町の西部にある。近世には城下小人こびと町に寺中六ヵ寺とともに境内を構えていたが、火災などにより幕末から明治初年にかけて寺中寺院の多くが城下他町や城下の周辺に移り、本寺である当寺も明治二一年(一八八八)現在地に移転した。祇山と号し、浄土真宗本願寺派本尊阿弥陀如来。もと城崎きのさき奈佐なさ(現豊岡市)にあり、故地に福成寺の地名をとどめている。寺伝によれば行基の開基と伝え、初め祇林山福成寺と称する真言宗の寺であったが、正平年間(一三四六―七〇)住持善証が本願寺覚如の弟子となって名も覚証と改め、寺を浄土真宗に改宗したという。その後文明年間(一四六九―八七)に郷士石谷備前と争論を生じ、弘原ひろはらしも花山はなやまに移ったという。

福成寺
ふくじようじ

[現在地名]東広島市西条町下三永 福成寺

ほら(五四四・六メートル)西の字福成寺の谷を南に望む福成寺山(五〇九メートル)山腹にある。表白山九品院と号し、真言宗御室派。本尊は応永二一年(一四一四)印告の作と伝える千手観音。延宝二年(一六七四)縁起や「芸藩通志」などによれば、聖武天皇の代に当地に流された猟師が、鷹坂たかさか(福本村にあるという)で光を放つ千手観音像を得、草堂を建てて安置福納ふくのう寺と号した。猟師は網の衣を着ていたので網衣上人とよばれた。寛仁年中(一〇一七―二一)覚引の時現在地に移り福成寺と改め、「西条一族」の氏寺として繁栄したが、元暦元年(一一八四)源平合戦で全焼

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

デジタル大辞泉プラス 「福成寺」の解説

福成寺

広島県東広島市にある真言宗の寺院。奈良時代の開基と伝わる。本堂内にある厨子須弥壇は15世紀前半に造られたとされ、国の重要文化財に指定されている。

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