デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「錦小路頼徳」の解説 錦小路頼徳 にしきのこうじ-よりのり 1835-1864 幕末の公家。天保(てんぽう)6年4月24日生まれ。父は唐橋在久。錦小路頼易の養子。外交は幕府一任という朝廷の方針の撤回を要請し,攘夷(じょうい)を建言した。文久3年の八月十八日の政変によって京都を追われ,三条実美(さねとみ)ら6人と長州へのがれた(七卿(しちきょう)落ち)。元治(げんじ)元年4月25日下関で死去。30歳。字(あざな)は一貫。号は翠園。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「錦小路頼徳」の意味・わかりやすい解説 錦小路頼徳にしきのこうじよりのり [生]天保6(1835).4. 京都[没]元治1(1864).4. 下関幕末の尊攘派公卿。いわゆる七卿の一人。唐橋家に生れ,錦小路頼易の養子となり医道をよくしたが,国事に奔走し,文久三年八月十八日の政変 (1863) 後,長州藩に脱走し翌年客死。 (→七卿落 ) 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by
367日誕生日大事典 「錦小路頼徳」の解説 錦小路頼徳 (にしきのこうじよりのり) 生年月日:1835年4月24日江戸時代末期の公家1864年没 出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報 Sponserd by