朝日日本歴史人物事典 「錦小路頼徳」の解説
錦小路頼徳
生年:天保6.4.24(1835.5.21)
幕末の公家。唐橋在久の子,錦小路頼易の嗣子。安政5(1858)年,老中堀田正睦が日米修好通商条約奏請のため上京した際,条約調印に反対する88卿列参奏上に参加。文久3(1863)年2月国事寄人となり,4月石清水社攘夷祈願行幸に供奉。7月,連署して攘夷親征を建議。しかし8月18日の政変で尊攘派勢力が後退するに伴って国事寄人は廃職となり,参内・他行・他人面会禁止の処分を受ける。三条実美らと協議の結果,長州西下を決定するが,この不法下向により官位を剥奪された。長州に滞留して上京の機を待つなか,下関にて病没した。辞世「はかなくも三十年の夢のさめてけり赤間関の夏の夜の空」。
(保延有美)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報