鍛冶屋敷村(読み)かじやしきむら

日本歴史地名大系 「鍛冶屋敷村」の解説

鍛冶屋敷村
かじやしきむら

[現在地名]会津若松市神指町こうざしまち南四合みなみしごう

阿賀川東岸にあり、西の対岸蟹川かにかわ(現北会津村)、北は天満てんまん村・西城戸にしきど村、南東深川ふかがわ村。康暦元年(一三七九)蘆名直盛が初めて鎌倉から会津に下向した時、多くの鍛冶職人を連れて来てこの地に住まわせたための村名という。子孫と思われる当村の農民治右衛門の家には、鍛冶の書といわれる金屋神という梵字で記された巻物がある(新編会津風土記)。もとは現在より北西の地にあったが、天文五年(一五三六)の白鬚水とよばれる大洪水で現在地に移ったと伝える。昔の村の位置を古屋敷ふるやしきといい、鍛冶場跡を地元では鍛冶神かじがみとよぶ。文禄三年(一五九四)の蒲生領高目録では門田もんでん郡に村名があり、高七五石余。


鍛冶屋敷村
かじやしきむら

[現在地名]小原村鍛冶屋敷

現小原村の中南部にあり、百月どうづき永太郎ええたろうから瑞浪みずなみ(現岐阜県)に抜ける瑞浪道が通る。寛永郷帳では岡崎藩領、天明六年(一七八六)旗本久世三四郎領で明治維新に至る。明治九年(一八七六)の副業統計(小原村誌)には木挽二戸、水車業一戸がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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