長命寺跡(読み)ちようめいじあと

日本歴史地名大系 「長命寺跡」の解説

長命寺跡
ちようめいじあと

[現在地名]江南町板井

板井山薬王院と号し、本山派修験で京都聖護しようご院末寺であった。本尊は不動明王。開山年次は不明であるが、元阿円長が草創し、円長は久安三年(一一四七)の没と伝える(風土記稿)。古くから篠場しのばの長命寺とよばれていたが、一時断絶していたようである。天文二三年(一五五四)二月二三日の聖護院門跡御教書(篠場文書)によると、同九年児玉(現児玉町)福泉ふくせん坊に「武州篠場長命寺」再興許可状が発給されていたが、再度同二三年聖護院門跡は長命寺に再興許可を与え、同時に源重相続の熊野先達職と檀那職を安堵している。

長命寺跡
ちようみようじあと

[現在地名]坂出市林田町

崇徳上皇が行在所としたという伝えのある寺院。古くは境内方四町で仏閣が立並び、名高い霊場であったと伝え、天正年間(一五七三―九二)に兵火で焼失したというが(綾北問尋鈔)、寺跡もはっきりしない。讃岐配流となった崇徳上皇がまず入った「二の在庁散位高遠が松山御堂(保元物語)を長命寺とする説(「讃岐国名勝図会」「綾北問尋鈔」など)と、長命寺辺りにあった綾高遠の邸とする説(「全讃史」など)がある。上皇はその後鼓岡つづみがおか御所に移るが、松山の御堂の柱に「ここもまたあらぬ雲井と成にけり空行く月の影にまかせて」の歌を書残したといわれ(白峯寺縁起)、この歌から行在所はのちに雲井くもい御所とよばれるようになった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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