戦国大名が領国支配のため制定した基本法。戦国家法ともいう。戦国大名が発令した戦国法は,個別的に出された単行法と分国法に大別されるが,分国法は,戦国大名により,その支配対象である家臣団および領国のすべての法の基礎とする目的で制定されたものである。分国法には長期的見通しのもとで重要とみなされる条項が採用され,恒久的効力が付与されており,その大部分は法典の形式をとっている。
分国法を法の規制対象の面より大別すると,家臣団を対象とする家法の要素と,領国民一般を対象とする国法の二つの要素に大別される。この両者は実際には明確に区分されることなく混在し,それが後の藩法などと比べてひとつの特徴となっているが,系譜的にも両者を弁別することが必要である。家法の出発点は,もっとも原初的な家の法規範である置文(おきぶみ)であり,家の存続・繁栄を目的とした道徳規範として定められた家訓と家法は同根のものといえる。分国法においては,この法と道徳の分離がかなり明確になっているとはいえ,なお両者の関係は完全に断ち切れていない。家訓としてつくられた《朝倉孝景条々》が家法的条文を多く含むのは,この関係をよく示す例である。つぎに国法的要素は,守護法にその直接的系譜を求めることができる。分国法にしばしばみられる室町幕府法の継承条文は,室町幕府のもとでの守護の領国における裁判規範としての法の蓄積を前提とするものといえる。また分国法を制定した戦国大名に守護職をもつ大名が多いという現象も,この系譜の上に理解される。
このように分国法は,家法,守護領国法にその直接的系譜が求められ,その発展の上に成立したのであるが,分国法の特徴は,これらのたんなる発展だけでなく,14世紀から16世紀にかけて全国各地に成立した在地領主の地域的結合体である国人(こくじん)一揆(国(くに)一揆)が制定した領主間協約である一揆契状を,ひとつの歴史的媒介項として吸収し成立している点にある。すなわち分国法は,在地領主階級による大名への領主権付託に基づく,領主階級の共同意志の集約という性格が基本となっているのであり,通常いわれる分国法の武断的・専制的性格もこの基本的性格に基づくものといえる。その形式,内容から一揆の法といってもさしつかえない《六角氏式目》は,このような分国法の形成過程,特徴を示す典型的例である。分国法に多くみられる用水法,逃亡下人の相互返還を定めた人返し法,また分国法を法史上特徴づける喧嘩両成敗法に代表される,家臣間のあらゆる紛争における自力救済を禁止した立法は,みなこの国人一揆の法をその出発点としている。分国法成立の法史上の意義とされる,中世の武家法,公家法,民間慣習を総合してひとつにしたという性格も,以上の形成過程の上に位置づけられる。
分国法は戦国大名の領国内における最高の法規範として存在し,原則的には,分国中の領国民にひとしく適用されるものであった。分国法には中世を通じて武家社会の最高の法規範として存在した《御成敗式目》の条文が多く採用されており,通常その影響下に成立したとされている。しかし,その形式,内容の影響の事実は,式目がその分国において分国法に優越する基本法として存在したことを意味するものではない。《御成敗式目》は,分国法制定の主体である大名権力の選択によって,その一部だけが生かされたのであり,その部分のみがあらためて実効性を与えられているのである。このように分国法は,《御成敗式目》の基本法としての性格に終止符を打つものであり,戦国大名の新しい支配体制樹立の意図と深く結びついて成立したのである。分国法においては〈理を破る〉という法の性格が強調されている。戦国大名はその新しい国家の樹立過程において,支配体制のなかに社会を組み込み再編していく過程で,伝統的に正しいと意識され,中世法を支えた〈道理〉の観念や,〈世間の法〉〈大法〉と呼ばれた慣習法を,権力意志の発動として,法によって吸収・再編していったのである。また,戦国大名が,大名権力から切り離された法独自の絶対的権威を分国法のなかで強調しているのも分国法の特徴であり,新しい大名の領国支配の正当性の有力な武器として分国法が大きな役割を担わされて登場したといえる。
執筆者:勝俣 鎮夫
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戦国大名が領域(分国)支配のために制定発布した法令。戦国家法(かほう)ともいう。戦国大名が随時必要に応じて発給した個別法に対し、家臣団および分国に対する法全体の基礎とする目的で、恒久的効力を付与し制定発布した集成法である。その性格は、御成敗式目(ごせいばいしきもく)以来の武家法の伝統を継承し、さらに一族や子孫を規制対象とした家訓や相互規制を目的とした一揆(いっき)契状等の在地慣習法を吸収して、分国内における独自の公権の確立を目ざしたものであった。さらに、分国法は以後の江戸幕府法や諸藩法などの近世武家法に大きな影響を及ぼしている。分国法のなかでは、大内家壁書(かべがき)や相良(さがら)氏法度(はっと)などがもっとも早い例であり、そのほか、今川(いまがわ)氏の今川仮名目録、伊達(だて)氏の塵芥集(じんかいしゅう)、武田氏の甲州法度之次第(しだい)(信玄(しんげん)家法)、結城(ゆうき)家法度、六角(ろっかく)氏式目、三好(みよし)氏の新加制式(しんかせいしき)、長宗我部元親(ちょうそがべもとちか)百箇条などが代表的なものである。また、集成法としての分国法をもたない戦国大名においても、後北条(ごほうじょう)氏の場合のように、「国法(こくほう)」とよばれる領国内における基本法規の存在したことが知られている。
[大久保俊昭]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
戦国家法とも。戦国大名が家臣団統制・領国支配のために制定した法。効力が支配領国に限定されることと,紛争などにおける各人・当事者の自力救済を全面否定するなど,領域内での強力な支配を特色とする。それまで非体系的に存在していた法・例・習などの諸規範を集成・取捨して,一元的な法体系に統合することをめざす。局所的・個別的な事情に優越する抽象度の高い一般性をもった法典として制定されることが多く,法の歴史の重要な画期をなす。起源としては,置文(おきぶみ)や一揆契状のように人的結合体を律する規範や,守護公権に由来する国法があげられるが,「御成敗式目」はじめ幕府法の強い影響がみられる場合が少なくない。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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※「分国法」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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