日本歴史地名大系 「長堂村」の解説 長堂村ながどーむら 沖縄県:沖縄島南部豊見城市長堂村[現在地名]豊見城市長堂(ながどう)金良(からら)村の北に位置し、北は長堂(ながどー)川を挟んで真和志(まーじ)間切仲井間(なけーま)村(現那覇市)、東は南風原(ふえーばる)間切津嘉山(ちかざん)村(現南風原町)。金良村と併称してカララ・ナガドーという。絵図郷村帳には豊見城(とうみぐすく)間切「長だう村」とみえるが、琉球国高究帳には記載がなく、「琉球国由来記」には同長堂村とある。間切集成図では金良村と連なって描かれている。当村を領する地頭職には乾隆五年(一七四〇)向氏長堂親方朝親(「中山世譜」附巻)がいる。廃藩の頃は向氏長堂朝度(「家譜資料」那覇市史など)。 長堂村ちようどうむら 大阪府:東大阪市旧布施市地区長堂村[現在地名]東大阪市長堂一―三丁目渋川郡に属し、南東隣の荒川(あらかわ)村枝郷。南の東足代(ひがしあじろ)村との境をなす十三(じゆうさん)街道沿いに集落がある。享保八年(一七二三)に年貢・諸役は村切となった(→荒川村)。元文二年(一七三七)河内国高帳では長堂村として高二二〇石余、幕府領。宝暦一〇年(一七六〇)には幕府領(瀬川家文書)、天保郷帳では荒川村に含まれており、幕末にも幕府領。文化五年(一八〇八)の荒川村の書上(行松家文書)によると家数三五。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by