長宗我部国親(読み)ちょうそかべ くにちか

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「長宗我部国親」の解説

長宗我部国親 ちょうそかべ-くにちか

1504-1560 戦国時代武将
永正(えいしょう)元年生まれ。本山氏らに居城土佐(高知県)岡豊(おこう)城を攻められ,父兼序(かねつぐ)が討ち死にしたため一条房家にそだてられ,永正15年岡豊城にもどる。所領回復後,天竺,横山,山田氏ら諸豪族を打倒して勢力を拡張した。永禄(えいろく)3年本山氏を攻撃し敗走させたが,同年6月15日病死。57歳。法号は瑞応覚世。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の長宗我部国親の言及

【長宗我部氏】より

…中世土佐国の豪族。《和名抄》の長岡郡〈宗部〉郷(訓は〈曾我倍〉)の地名を氏としたものであろう(香美郡に住んだ宗我氏を香宗我部氏という)。家譜,軍記物は始祖を秦河勝とするがもとより不明。ただ1554年(天文23)の棟札に〈秦国親〉とあり,戦国期には秦氏を自称している。家紋は鳩酢草。 土佐長宗我部氏の初代は能俊で,延久(1069‐74)あるいは承久(1219‐22)ころに信濃より入国したとされるが不明。…

【土佐国】より

…旧国名。土州。現在の高知県。土左国,都佐国とも記す。
【古代】
 南海道に属する中国(《延喜式》)。ただし865年(貞観7)に介を加置され国司の構成は上国と変わらなくなった。《古事記》の国生み神話には〈建依別(たけよりわけ)〉という別称が記されている。《先代旧事本紀(せんだいくじほんぎ)》の国造本紀には波多国造として天韓襲命,土佐国造として小立足尼の名がみえ,律令制的な国の成立以前,この地は土佐・波多両国造の支配下にあった。…

※「長宗我部国親」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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