朝日日本歴史人物事典 「長宗我部国親」の解説
長宗我部国親
生年:永正1(1504)
戦国時代の土佐国(高知県)の武将。兼序の子,元親の父。幼名千雄丸。信濃守。長岡郡岡豊城に生まれる。永正5(1508)年,吉良氏ら周辺豪族の攻撃により岡豊落城,父兼序を失う。その後,幡多郡の一条房家を頼り復興を目指した。同15年,房家の斡旋により帰城,所領回復を果たすと,近接する吉田城主吉田周孝に妹を嫁がせるなど地位の安定を図った。天文16(1547)年より長岡郡南部に進出。永禄1(1558)年ごろには3男親泰に香宗我部家を継がせ,勢力を東にも拡大。同3年5月,本山氏を浦戸城に破るが,翌6月急病により死去する。国親の戦功は,「一領具足」という地侍集団によるところが大きかった。<参考文献>山本大『土佐長宗我部氏』
(長谷川弘道)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報