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長宗我部国親 ちょうそかべ くにちか

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

長宗我部国親 ちょうそかべ-くにちか

1504-1560 戦国時代の武将。
永正(えいしょう)元年生まれ。本山氏らに居城の土佐(高知県)岡豊(おこう)城を攻められ,父兼序(かねつぐ)が討ち死にしたため一条房家にそだてられ,永正15年岡豊城にもどる。所領回復後,天竺,横山,山田氏ら諸豪族を打倒して勢力を拡張した。永禄(えいろく)3年本山氏を攻撃し敗走させたが,同年6月15日病死。57歳。法号は瑞応覚世。

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朝日日本歴史人物事典の解説

長宗我部国親

没年:永禄3.6.15(1560.7.8)
生年:永正1(1504)
戦国時代の土佐国(高知県)の武将。兼序の子,元親の父。幼名千雄丸。信濃守。長岡郡岡豊城に生まれる。永正5(1508)年,吉良氏ら周辺豪族の攻撃により岡豊落城,父兼序を失う。その後,幡多郡の一条房家を頼り復興を目指した。同15年,房家の斡旋により帰城,所領回復を果たすと,近接する吉田城主吉田周孝に妹を嫁がせるなど地位の安定を図った。天文16(1547)年より長岡郡南部に進出。永禄1(1558)年ごろには3男親泰に香宗我部家を継がせ,勢力を東にも拡大。同3年5月,本山氏を浦戸城に破るが,翌6月急病により死去する。国親の戦功は,「一領具足」という地侍集団によるところが大きかった。<参考文献>山本大『土佐長宗我部氏

(長谷川弘道)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典内の長宗我部国親の言及

【長宗我部氏】より

…中世土佐国の豪族。《和名抄》の長岡郡〈宗部〉郷(訓は〈曾我倍〉)の地名を氏としたものであろう(香美郡に住んだ宗我氏を香宗我部氏という)。家譜,軍記物は始祖を秦河勝とするがもとより不明。ただ1554年(天文23)の棟札に〈秦国親〉とあり,戦国期には秦氏を自称している。家紋は鳩酢草。 土佐長宗我部氏の初代は能俊で,延久(1069‐74)あるいは承久(1219‐22)ころに信濃より入国したとされるが不明。…

【土佐国】より

…旧国名。土州。現在の高知県。土左国,都佐国とも記す。
【古代】
 南海道に属する中国(《延喜式》)。ただし865年(貞観7)に介を加置され国司の構成は上国と変わらなくなった。《古事記》の国生み神話には〈建依別(たけよりわけ)〉という別称が記されている。《先代旧事本紀(せんだいくじほんぎ)》の国造本紀には波多国造として天韓襲命,土佐国造として小立足尼の名がみえ,律令制的な国の成立以前,この地は土佐・波多両国造の支配下にあった。…

※「長宗我部国親」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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