日本歴史地名大系 「長尾寺跡」の解説
長尾寺跡
ながおじあと
伊吹山麓の標高約二三〇メートルにあった寺院。現存しない。長尾護国寺ともいい、沙門三修が開基したと伝える伊吹山護国寺(伊吹山寺)から分立した四護国寺の一つ。もと法相宗、のち真言宗。現在は跡地の一画にある
嘉暦二年(一三二七)一月二二日、後醍醐天皇が中宮藤原禧子の安産の祈祷(実は北条氏滅亡の祈祷)を命じた令旨(大原観音寺文書)が伊福貴神社の神主宛に出されているが、そのなかに
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報