朝日日本歴史人物事典 「長崎高貞」の解説
長崎高貞
生年:生年不詳
鎌倉後期の得宗被官。父は高綱または高資。四郎左衛門尉。元弘1(1331)年の後醍醐天皇の笠置脱出の際,軍奉行として楠木正成の赤坂城攻略に当たり,同3年,六波羅探題滅亡後に興福寺に籠もり般若寺で出家したが捕縛され,翌建武1(1334)年の渋谷・本間氏の鎌倉侵入事件を機に阿弥陀峰で処刑された(「蓮華寺過去帳」)。なお没日には5月9日,7月9日とする異説がある。
(福島金治)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報