長徳寺跡(読み)ちようとくじあと

日本歴史地名大系 「長徳寺跡」の解説

長徳寺跡
ちようとくじあと

[現在地名]本山町寺家

寺家じけの北西部、北方長瀬ながせ山に連なる小丘上にあり、現若一王子にやくいちおうじ宮の西にあたる。

久安五年(一一四九)当地方の開発領主という頼則・盛政なる者たちが発願造立した寺という。以下「蠧簡集木屑」「古文叢」に収められた長徳寺文書によって記す。当寺はこれら開発領主の氏寺でその一族の者が氏僧として勤仕し、しかも院主職を相伝していたことが知られる。一方、建武元年(一三三四)四月日の長徳寺院主宗賢書状によると、長徳寺創建の年という久安五年、頼則・盛政らが長徳寺領の四至を定め、その地を紀州熊野社に寄進しており、その時より、「云本堂云鎮守星霜年久崇敬異于他霊場」となったとしている。熊野信仰の地方霊場となったものと考えられる。熊野社への寺領寄進によって、長徳寺院主職は熊野山検校宮が補任することとなっている。しかも院主は熊野への先達職も合せ補任されている(弘安一一年二月日「左衛門尉胤茂等連署状」)。また、長徳寺院主は熊野社に寄進された長徳寺領(吾橋庄)荘官をも兼ねていたことは、元仁二年(一二二五)卯月二六日の沙弥西仏譲状に「沙弥西仏譲与長徳寺若王子院主職并田畠山野等事」とみえることから知られる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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