高級菓子に対する下等菓子の意で、江戸時代には1個の単価がおよそ一文であったところから、一文菓子とよばれた。明治維新後は一文が一厘(りん)菓子になり、貨幣価値の変遷とともに五厘から一銭菓子となった。一銭菓子は昭和初期まで、裏町のいわゆる駄菓子屋が商っていたが、1937年(昭和12)に始まった日中戦争が太平洋戦争へ拡大する段階で、すっかり姿を消した。敗戦後、地方を中心に駄菓子の復活がみられたが、これらは郷愁のなかの駄菓子であり、その価格は高級菓子並みの高騰を遂げた。駄菓子の材料は、麦、豆、稗(ひえ)、粟(あわ)などの雑穀、屑(くず)米でつくったみじん粉(こ)、これに水飴(みずあめ)や黒糖などを加え、種々の形にこしらえて彩色を施したが、その色合いは一目で駄菓子とわかるけばけばしさ、毒々しさが特徴でもあった。それがまた上菓子、並菓子以下と位置づけられた駄菓子の身分をも表していたのである。駄菓子の「駄」は荷物を負う馬の意で、人は乗せない劣った馬とされる。これから菓子に駄の字を冠したものは、人の口にはあわないとの意味がもたされた。
駄菓子は補食的な性格も強く、食べておなかにたまるようにもつくられたが、その種類も多様で、大麦粉に黒糖を混ぜ、練り固めて型に入れ打ち抜いた麦こがし、ねじりおこし、みじん棒、豆板、芋(いも)羊かん、鉄砲玉、べっこう飴、げんこつ飴、にっけい飴、きな粉飴、かるめ焼き、かりんとう、塩煎餅(せんべい)、黒糖で甘くしたあんこ玉などがあった。駄菓子商いは、江戸期には屋台売り、振売りであったが、明治以降は多く露地裏の小店であり、これらの小店ではお好み焼きやアイスキャンデーも売って、子供の社交場を形成した。駄菓子売りに伴う世間話は、情報集めやうわさを広めるにも便利な窓口となったので、隠密(おんみつ)が駄菓子商いに扮(ふん)することも多かった。終始一貫して駄菓子の位置を保ってきたもののほかに、金花糖やはっか糖、生姜(しょうが)糖、金平糖などのように、その普及につれて駄菓子の仲間入りをしたもの、また逆に製造法の改良や材料を吟味することによって駄菓子、雑菓子の部類から高級品の仲間入りを遂げた菓子もある。たとえば塩煎餅や五家宝(ごかぼう)のたぐい、どら焼き、最中(もなか)、蒸し羊かん、大阪の岩おこし、東京・浅草の雷おこし、京都の豆板、石川県金沢市の柴舟(しばぶね)などはこの部類に入る。一方、豆餅(まめもち)や大福餅、金鍔(きんつば)、草餅、葛(くず)餅などは、一般に駄菓子とよばれてきた。
[沢 史生]
…駄菓子をあきなう店。駄菓子は安価な材料を使った粗製の菓子のことで,《続飛鳥川(ぞくあすかがわ)》によると18世紀後半の江戸では,板おこし,だるま糖,栗焼,ニッケイ糖,大ころばしなどが代表的なものだった。…
…ビスケットとパンも南蛮菓子として紹介されたが,いずれも江戸時代には普及しなかった。なお,江戸後期になるとカステラその他の名が個別に定着したためであろう,京坂では南蛮菓子といえば駄菓子をさすようになったという。【鈴木 晋一】。…
※「駄菓子」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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