恩田村(読み)おんだむら

日本歴史地名大系 「恩田村」の解説

恩田村
おんだむら

[現在地名]緑区恩田町・田奈たな町・青葉台あおばだい一―二丁目・榎が丘えのきがおか桂台かつらだい一―二丁目・しらとりだい・つつじがおか松風台まつかぜだい若草台わかくさだい桜台さくらだい・さつきがおか・すみよしだい・たちばなだい二丁目・藤が丘ふじがおか二丁目・長津田ながつだ二―三丁目・いぶき

北は鴨志田かもしだ村・成合なりあい村、東北は上谷本かみやもと村、東は下谷本村、東南は西八朔にしはつさく村・十日市場とおかいちば村、南は恩田川を境に長津田村で当村飛地がある。西は多摩たま成瀬なるせ(現東京都町田市)西北奈良なら村と接する。恩田川や奈良川に沿って平地があるが、丘陵がちな地形である。矢倉沢やぐらさわ往還が東側を上谷本村から長津田村へ通じる。元禄・天保両郷帳は「忍田村」と記す。

永仁(一二九三―九九)頃と推定されている恩田殿宛の武蔵国留守所代連署書状(早稲田大学蔵)に府内分倍河(現東京都府中市)堤防修築に際して「恩田鴨志田所課分」を「両郷」が難渋しているとある。正中二年(一三二五)の万年寺鐘銘に「武州恩田霊鷲山松栢万年禅寺」とある(県史二)。同寺は「風土記稿」ではすでに廃寺になっている。


恩田村
おんだむら

[現在地名]沼田市恩田町

硯田すずりだ村の北、利根川左岸に位置し、西は同川を挟み上川田かみかわだ村、北は井土野上いどのうえ村。南東部を四釜しかま川が流れ、同川を挟み下沼田村に対する。平家沼田氏系図(法城院文書)では沼田氏一族の発知景頼が当地に拠り恩田氏の祖となったといい、永禄四年(一五六一)の関東幕注文(上杉家文書)には沼田衆として同氏の名がみえる。その後、恩田氏は真田家臣として信州松代まつしろ(現長野市)へ移り、「日暮硯」の著者恩田木工は同氏の子孫。


恩田村
おんだむら

[現在地名]小川町恩田

薬利くずり村の南、南流する権津ごんづ川右岸に位置し、対岸は小川村、南は三輪みわ村。慶安郷帳に村名がみえ、田高二一四石余・畑高四七石余、烏山藩領。元禄一〇年(一六九七)旗本有馬・土屋の二給となり、天保郷帳では高三二七石余。貞享五年(一六八八)宗門改帳(星尚文書)によれば家数二八・人数一七二人、うち一六七人が真宗門徒であった。明治五年(一八七二)の家数一六・人数一〇四(小川町誌)


恩田村
おんだむら

[現在地名]富津市恩田

寺尾てらお村の北東に位置する。文禄三年(一五九四)の上総国村高帳に恩目村とみえ、高一二三石。正保国絵図では忍田とあり、寛文四年(一六六四)の松平忠勝領知目録(寛文朱印留)では恩田村とし、佐貫藩領。支配領主の変遷田原たばら村と同様。元禄郷帳でも忍田村として高一三三石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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