滋賀県長浜市で産出される縮緬の総称。浜(はま)縮緬ともいう。1752年(宝暦2)ころ、浅井難波村の中村林助と乾庄九郎(いぬいしょうくろう)により、丹後(たんご)宮津の蚕紙商庄右衛門(しょうえもん)から縮緬の技術を導入して始められたといわれ、製品は京都市場に送られ、友禅染めなど染色加工された。琵琶(びわ)湖の水のよさが、縮緬に使われる撚糸(よりいと)の撚掛けに適しており、良質の縮緬をつくることができたため発展をみた。1759年に彦根(ひこね)藩は株仲間を結成させ、「諸機株札」を下付して生産を保護している。その結果、安政(あんせい)年間(1854~60)には、蝉(せみ)織、絹(きぬ)段織、鶉(うずら)織、烏帽子(えぼし)織、横寄(よこよせ)織など、各種の織物を織り出すまでに至った。明治以後、藩の保護はなくなり、一時、衰退したが、大正の初めには力織機が導入され、どこの地方でも一越(ひとこし)縮緬が生産されるようになるが、この地方のものは風合いのよさが特徴である。
現在では、丹後に続く生産地として著名であり、小幅ものは染め着尺・袱紗(ふくさ)・染め帯・半衿(はんえり)地など、中幅・広幅ものは風呂敷(ふろしき)・ふとん地・ドレス地などに使われている。
[角山幸洋]
…2本の経糸(たていと)と2越(こし)の緯糸(よこいと∥ぬきいと)という2組の糸の組合せを最低単位とし,織機を用いて作られたある幅と長さをもつ平面の総称。通常は経糸に対し緯糸が直角に交わって布面を構成するが,近年緯糸に対し経糸を左右斜めに走らせて布面を構成する斜織(ななめおり)が考案され,経糸と緯糸の直交という原則はあてはまらなくなった。
【起源】
織物の起源とその伝播について明確な答えを出すことは不可能といってよい。…
…こうした需要拡大を背景に,18世紀に入ると西陣の技術が各地へ伝えられて地方機業が発展するようになる。丹後地方では1719年(享保4)と22年に西陣の縮緬製織の技術を習い帰った者たちが丹後縮緬をつくりはじめ,その技術は52年(宝暦2)に近江長浜へも伝えられて長浜縮緬の生産が開始された。また関東の桐生織物にも1738年(元文3)に西陣織物師弥兵衛により高機技術が導入され,しだいに高級織物が生産されるようになった。…
※「長浜縮緬」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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