長谷川佐太郎(読み)はせがわ・さたろう

朝日日本歴史人物事典 「長谷川佐太郎」の解説

長谷川佐太郎

没年:明治32.1.26(1899)
生年:文政10.9.6(1827.10.26)
幕末,讃岐豪農篤農醸造を業とする家に生まれる。日柳燕石らと交流があり,来訪の尊攘派志士を庇護した。また,満濃池再築決意。寛永8(1631)年の再築以来讃岐平野への用水供給源であった満濃池が安政1(1854)年に決壊したからである。明治1(1868)年に新政府の許可を得,翌年5月工事に着手。私費をも投入して翌3年6月工事を完了させた。

(井上勲)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「長谷川佐太郎」の解説

長谷川佐太郎 はせがわ-さたろう

1823-1898 幕末-明治時代の治水家。
文政6年生まれ。讃岐(さぬき)榎井村(香川県琴平町)の豪農。日柳燕石(くさなぎ-えんせき)らと尊攘(そんじょう)運動をおこなう。安政元年決壊した灌漑(かんがい)用の満濃池の堤防を,私財をなげうって修築し,明治3年完成させた。明治31年1月7日死去。76歳。名は信之。字(あざな)は忠卿。号は松坡(しょうは)。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android