(平岡正明)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
幕末の勤皇家。讃岐(さぬき)国那珂(なか)郡榎井(えない)村(香川県仲多度(なかたど)郡琴平(ことひら)町)の出身。名は政章(まさあき)、字(あざな)は士煥(しかん)、号は柳東・春園、通称を加島屋長二郎といった。幼少のころから叔父石崎青崗(せいこう)について学び、さらに琴平の宮医三井雪航(みついせっこう)に学び、詩文や書画に長じた。任侠(にんきょう)の士(博徒の親分)であったが、のち藩政を批判し勤皇精神をもつに至る。呑象(どんぞう)楼と名づけた居宅に身を寄せる者は多く、また吉田松陰(しょういん)、桂小五郎(かつらこごろう)、久坂玄瑞(くさかげんずい)、中岡慎太郎(しんたろう)、本間精一郎(ほんませいいちろう)、椋木(くらき)八太郎などとも交流が深かった。とくに高杉晋作(しんさく)をかくまい逃亡させた罪により1865年(慶応1)投獄された。出獄後、北越征討の大総督仁和寺(にんなじ)宮の日誌方として従軍し、越後柏崎(えちごかしわざき)陣中で病死した。著書に『呑象楼遺稿』『柳東軒略稿』『西遊詩草』などがある。
[橋詰 茂]
幕末の志士。讃岐国琴平の質商・地主の加島屋に生まれる。名は政章,通称は加島屋長次郎,燕石は号。詩文を学び,のち博徒の長となる。京坂を遊歴して高杉晋作,木戸孝允,中岡慎太郎らの志士と交際し,また彼らを自邸に庇護もした。高杉潜匿のゆえをもって高松藩に捕らわれ,1868年赦免された。会津征討軍越後口総督仁和寺宮に書記役として従行したが,越後柏崎に病没した。《日柳燕石全集》がある。
執筆者:井上 勝生
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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