改訂新版 世界大百科事典 「長門警固番役」の意味・わかりやすい解説
長門警固番役 (ながとけいごばんやく)
鎌倉幕府がモンゴル襲来に備えて設置した長門(山口県)辺海の警備番役。1275年(建治1)5月12日,幕府は長門一円の御家人のみでは不足として周防(山口県)・安芸(広島県)両国の御家人にも寄合勤番を命じているが,さらにその8日後には備後(広島県)の御家人にも動員を令し,4ヵ国の結番で要害の地(関門海峡等)を警備し,襲来の際は防戦に当たるよう指令した。翌76年8月,幕府はさらに山陽・南海道勢をもって警備に当てることにし,安芸国守護武田信時にあてて,同国内の地頭御家人並びに本所一円地の住人らを促してその任に当たるべきことを指令している。すなわち前出の4ヵ国にさらに播磨(兵庫県)等10ヵ国を加え,しかも御家人のみならず非御家人をも動員することにした。番役の統轄は長門探題が担当したと思われる。鎌倉幕府滅亡後もなおしばらくその遺制は存続したらしい。
執筆者:五味 克夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報