日本歴史地名大系 「門鹿村」の解説 門鹿村かどしかむら 福島県:田村郡船引町門鹿村[現在地名]船引町門鹿北鹿又(きたかのまた)村の西、移(うつし)ヶ岳西麓の丘陵に立地。東部を相馬へ至る道が通る。紫(むらさき)川流域の平坦地と丘陵縁辺部に集落がある。相馬道の東方に残る古街道沿いの樋(ひ)ノ口(くち)に正応五年(一二九二)銘、小砂田(こすなだ)に嘉元三年(一三〇五)正月二〇日銘の供養塔がある。中世は田村庄のうち。永禄一一年(一五六八)七月吉日の熊野山新宮年貢帳(青山文書)に「五段 四百文 川しか」とある。「川しか」は当地に比定され、紀州熊野新宮に年貢を納めている。天正一四年(一五八六)一〇月一三日の熊野山新宮年貢帳(同文書)には「門鹿」とみえるが、面積と年貢高は記載がない。文禄三年(一五九四)の蒲生領高目録に村名がみえ、高五六九石余、梅原弥左衛門の知行地。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by