日本大百科全書(ニッポニカ) 「開魯」の意味・わかりやすい解説
開魯
かいろ / カイルー
中国北部、内モンゴル自治区通遼(つうりょう)市西部の県。西遼河(せいりょうが)の北岸にあり、遼寧(りょうねい)省に隣接する。人口39万8081(2014)。モンゴル名はターリンソブルガ。1905年に漢民族に開放され、農民や商人が移住したが、1912年にモンゴル人の焼討ちにあった。再度移住が奨励され、また東方の通遼の大水害や南方の庫倫(クーロン)旗の暴動からの避難民で人口が増加した。コウリャン、大豆、小麦、アワ、ウシ、ヒツジ、天然ソーダ、カンゾウなどを産する。西の林西(りんせい)、北の突泉(とつせん)などへの交通の要地で、京通線(北京(ペキン)―通遼)、集通線(集寧(しゅうねい)―通遼)が通じる。遼代にリンダン・ハン(1592―1634)が建てたという13層の白いラマ塔がある。
[浅井辰郎・編集部 2017年12月12日]