20世紀日本人名事典 「間宮七郎平」の解説 間宮 七郎平マミヤ シチロベイ 大正・昭和期の花卉栽培家 生年明治26(1893)年10月19日 没年昭和33(1958)年9月25日 出生地千葉県 学歴〔年〕明治薬学校中退 経歴小学終了後、家の農業を手伝っていたが、19歳の時上京、苦学の末に薬剤師の資格を取得。房総の温暖な気候と都会に近い地の利は花づくりに適していると思いつき、大正10年帰郷後、寒菊を育て、東京市街を大八車で売り回った。翌年には赤花ダルマ豌豆を出荷、1俵が4円で売れたという。13年和田浦生花組合を結成、組合長となり、房総に花卉栽培を根づかせた。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「間宮七郎平」の解説 間宮七郎平 まみや-しちろうべい 1893-1958 大正-昭和時代の園芸家。明治26年10月19日生まれ。郷里の千葉県和田町で薬局経営のかたわら,大正8年ごろから花卉(かき)栽培にとりくむ。12年和田浦生花組合を設立,組合長となる。流通機構の整備,新品種の導入につとめた。昭和33年9月25日死去。64歳。明治薬学校(現明治薬大)中退。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by