関戸神社(読み)せきどじんじや

日本歴史地名大系 「関戸神社」の解説

関戸神社
せきどじんじや

[現在地名]大子町頃藤

河岸段丘上、森に囲まれて鎮座祭神は天津彦根命。旧村社。社伝によると大同元年(八〇六)創建。往昔源義家の北征にあたり、この地を白川郡と久慈郡の国境と定め、ここに関戸米せきどめ神社を祀り、戦勝を祈願して宝剣一振を奉献した。のち新羅三郎義光が常陸介となった時、社殿を修復して春秋の祭を厳修。比藤ころふじ城主山田左近大夫に引続き、佐竹義胤の次男小川三郎義光が館城主となり累代これを司掌したという。

「今昔物語集」巻二七の「近衛舎人、於常陸国山中詠歌死語」に「陸奥国ヨリ常陸ノ国ヘ超ル山ヲバ、焼山ノ関トテ極ジク深キ山ヲ通ル也」とあるが、「新編常陸国誌」は「焼山関」を「多岐也麻乃世幾」とよみ、「凡本国久慈郡ヨリ陸奥ノ白河郡ニ入ルベキ道ニアリ。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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