関戸観音堂(読み)せきどかんのんどう

日本歴史地名大系 「関戸観音堂」の解説

関戸観音堂
せきどかんのんどう

現関戸五丁目の真言宗豊山派観音寺に比定される。暦応二年(一三三九)の常陸合戦に出陣した多摩郡土淵つちぶち(現日野市)の領主山内経之と音信があった一人に「せきとのくわんのたうのハうす」あるいは「せきとのはうす」とよばれた人物がいた。同年のものと推定される山内経之の書状(高幡不動胎内文書)は観音堂坊主に常陸合戦への出陣に際して兵粮米の融通を依頼している。観音寺は寺伝では建久三年(一一九二)に唐の僧が一庵を建て観音像を安置したのが始めであるという。寺域は鎌倉街道上道に比定されている街道に接する丘陵の東側斜面にあたり、付近からは嘉元三年(一三〇五)上限とする観音寺板碑群、延文六年(一三六一)を上限とする中村家旧蔵板碑群、元亨二年(一三二二)を上限とする小山家板碑群が出土しており、近辺には玉石を伴う骨片が発見されたという伝承もあることから、中世墳墓群が点在していたと考えられている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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