寿徳寺(読み)じゆとくじ

日本歴史地名大系 「寿徳寺」の解説

寿徳寺
じゆとくじ

[現在地名]仙台市国見一丁目

半子はんこ町の北西端にある曹洞宗の寺。宝珠山と号し、本尊釈迦牟尼仏。天正一三年(一五八五)伊達氏一六代輝宗が伊達だて(現福島県)高田原たかだはらに倒れた時、信夫しのぶ佐原さばら(現福島市)慈徳じとく寺に埋葬した。のち政宗が米沢資福しふく寺に移葬、慈徳寺住職慧繁が仏事を行った。慧繁も政宗に従って玉造たまつくり岩出山いわでやま(現岩出山町)、仙台と移り、現在地に寺を建て、輝宗の牌寺として三六石の寺禄を受け召出格に列した。


寿徳寺
じゆとくじ

[現在地名]鉾田町烟田

烟田かまた城跡に続く台地の中央に位置する。長慶山と号し、曹洞宗。本尊は阿弥陀如来。文治二年(一一八六)正月、烟田城主烟田太郎親幹が創設し、開山は沢叟道悦。もとは天台宗山寺で、烟田氏の築城により現在地へ移転したといわれる。烟田旧記(続常陸遺文)天文一二年(一五四三)三月八日に「寿徳寺立候由也」とあり、また天正一三年(一五八五)七月二八日条にも「大風吹候て寿徳寺ふきころび申候、寺立候て四十三年と申すにころひ候、安堵文に向後を指置れ候ないさうやうに造被成候、長老は正竜と申御人体候、大風百年より此方おほへ不申候由各被申候」とみえ、当時の寺の様子がわかる。


寿徳寺
じゆとくじ

[現在地名]三原市西町

恵下谷えげだに川右岸、大善だいぜん寺の北にあり、妙栄山と号し日蓮宗。本尊十界大曼荼羅。宝永八年(一七一一)縁起(「三原志稿」所収)によると、もと鷹山たかやま城下(現豊田郡本郷町の新高山城北麓)にあり、応永一二年(一四〇五)―長享元年(一四八七)頃の創建で、本山京都本法ほんぽう寺の開祖日親の開基という。


寿徳寺
じゆとくじ

[現在地名]佐賀市兵庫町大字藤木

曹洞宗。山号は福聚山。本尊は観世音菩薩。天正六年(一五七八)に没した国分こくぶん寺(現佐賀郡大和やまと町)の勢岩を弔うために、鍋島直茂家臣の関平兵衛・勝屋勘右衛門に命じて藤木ふじのき村に建立させた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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