関野神社(読み)せきのじんじや

日本歴史地名大系 「関野神社」の解説

関野神社
せきのじんじや

[現在地名]高岡市末広町

旧高岡城の枡形の一角にあたり、高の宮たかのみやとよばれる。法人名は高岡関野神社。拝殿の奥に関野・高岡・加久弥かくみの三社の本殿が立並び、三社一体の神社であり、高岡市最大の氏神となっている。したがって以前は関野三社とよばれていた。そのうち関野神社の祭神は伊弉冉尊・速玉男命・事解男命、相殿神は素盞嗚命・加具土神。往古射水いみず郡と婦負ねい郡の境とされた現大門だいもん水戸田みとだの熊野山に鎮座し、熊野神社と称したという。「越中志徴」が引く関野神社の社記は、熊野山から天暦二年(九四八)関野郷に転座したと伝え、文化三年神社由来書上は同年分霊を勧請したとする。また「越中志徴」は天正年中(一五七三―九二)神保長職の没落までは熊野山に鎮座したと考察している。寺社由来には「高岡熊野社者、只今御馬出町之坂高、いにしへ升形御座所ニ、古ヘハ社相立有之由御座候得共、高岡御在城之節、御城内に罷成申ニ付、唯今之宮地江社移申候」とあり、慶長一四年(一六〇九)前田利長の高岡開城の際、上関かみぜき村に遷座した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報