闘鶏台古墓(読み)とうけいだいこぼ(英語表記)Dòu jī tái gǔ mù

改訂新版 世界大百科事典 「闘鶏台古墓」の意味・わかりやすい解説

闘鶏台古墓 (とうけいだいこぼ)
Dòu jī tái gǔ mù

中国,陝西省宝鶏県闘鶏台にある新石器時代末から戦国時代,漢代の遺跡。1934年から37年にかけて前後3回にわたり,当時の国立北平研究院が調査した。遺跡は廃堡区と,戴家溝を挟んだ溝東区と溝西区の3地区からなり,そのうち溝東区では戦国から漢代にかけての多数の墓葬と新石器時代の土器製作址とみられる竪穴円形あるいは隅丸長方形の竪穴住居址などが検出された。墓葬は104基が発見され,蘇秉琦は瓦鬲(がれき)墓(45),屈肢葬墓(11),洞室墓(24)の3時期に編年している。瓦鬲墓からは周代の青銅戈(か)と戟(げき)が出土し,また屈肢葬墓には先秦鏡を伴出するため,前者は新石器時代末から青銅器時代初期,後者は戦国から秦代に比定される。洞室墓は地下に墓室を構築したもので,中に竈,鼎,壺,甕,倉などの瓦製品や,貨幣,弩機,蓋弓帽,車馬金具,銅鏡を副葬する。貨幣には貨泉,貨布があり,また銅鏡には内行花文清白鏡,四乳蟠螭(ばんち)文鏡,方格規矩四神鏡があるため,前漢代から王莽の新代またはそれ以降とされる。文化層は第1層が彩陶を含む仰韶(ぎようしよう)文化層,第2層が秦以前の瓦鬲墓,第3層が無彩陶の新石器文化,第4層が秦・漢代の墓である。秦・漢代の墓を別にすると,彩陶を含まない新石器時代の文化層が下にあり,この層位と粗雑な土器からこの時期は新石器時代最古の段階と考えられていたが,現在では仰韶文化以降竜山文化段階とみられている。なお,天津市文物管理処とニューヨークメトロポリタン美術館に分蔵される〈柉禁(へんきん)〉上の一群古銅器は1901年(光緒27)に戴家溝の東から出土した。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報