国指定史跡ガイド 「阿光坊古墳群」の解説
あこうぼうこふんぐん【阿光坊古墳群】
青森県上北郡おいらせ町阿光坊にある、7世紀前半から9世紀末にかけての大規模な古墳群。奥入瀬(おいらせ)川下流左岸の標高30mから40mの段丘上に位置する。1987年(昭和62)、耕作中に勾玉(まがたま)が発見されてのち、1988年(昭和63)から1990年(平成2)にかけて発掘調査が行われ、古墳14基が発見された。うち12基に周溝があった。1999年(平成11)から2006年(平成18)にかけて遺跡の範囲と内容確認のために発掘調査を実施した結果、周溝のある古墳108基、周溝のない古墳8基が確認され、2007年(平成19)、国の史跡に指定された。さらに未発見の古墳が存在すると考えられている。古墳は状態のよいもので高さ1.1m、直径10m前後の円墳。多くは、1~2.5mの周溝をもつ。墳丘中央に2m×1mの墓坑があり、幅0.7m、長さ1.7mの木棺を納めたと推定されている。周溝や墳丘に供えられた供献土器のほか、棺内から玉類や耳環などの装身具、蕨手刀(わらびでとう)や鉄鏃(てつぞく)などの武器類、鉄製の馬具、農工具、土器類などの副葬品が発見されている。その多くが東北地方南部以南の地域から入手したと考えられ、頻繁な交易をうかがわせる。この種の古墳群は「末期古墳」と呼ばれ、東北地方北部から北海道石狩平野にかけての地域に見られる。古代律令制下には組み込まれておらず、当時、蝦夷(えみし)と称された人々の墓だと考えられている。末期古墳の中でも阿光坊古墳群は100基以上を擁する大規模な遺跡で、保存状況もきわめて良好であり、しかも、7世紀前半から9世紀末にかけてという長い継続期間をもっている。この遺跡から谷を東へ約3km下ると、100軒以上の竪穴(たてあな)住居跡のある中野平遺跡があり、蕨手刀(わらびでとう)や挂甲(けいこう)の小札が出土した大型の竪穴住居跡である根岸遺跡も近く、古墳群との直接の関わりをうかがわせる。青い森鉄道向山駅から車で約10分。