阿智我庄
あちがのしよう
三箇院家抄(内閣文庫蔵大乗院文書)に「三十八阿智我庄竜花院」とある。興福寺大乗院領荘園で、同院末寺の竜花院は預所であろう。荘号から現大字阿知賀に比定される。面積など未詳。
建武元年(一三三四)の坊領証文紛失状(吉水神社文書)に「阿智我郷内屋敷一所并水田五段」とみえ、「阿智我郷」に金峯山寺領として屋敷と水田五段のあったことがうかがえる。吉水院は預所であろう。「大和志」には「原野・上・中屋・岨・中・野野熊・瀬上併御料荘岡村、以上八村呼曰阿智加、新野属邑一・土田・越部属邑二・左曾属邑二・立石・広橋・四原野已下十四村呼曰官上荘」とみえる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
Sponserd by 