阿波国渭津城下之絵図(読み)あわのくにいのつじようかのえず

日本歴史地名大系 「阿波国渭津城下之絵図」の解説

阿波国渭津城下之絵図(渭津城下之絵図)
あわのくにいのつじようかのえず

寸法 二〇二×二八〇センチ(彩色)

成立 不明

原本 国立国文学研究資料館史料館所蔵蜂須賀家文書

解説 徳島城下(御山下)が「城」や「侍屋敷」「足軽町」「町屋」などに区分された幕府提出用とみられる城下絵図。西富田・東富田佐古助任などの周辺地区には「弓之者」や「小人」「下代屋敷」「中間」「歩行屋敷」「台所人屋敷」など無足人らの下級藩士の屋敷地が記されていて、正保三年の徳島城之絵図(国立公文書館蔵)などと比較して表記が細分化されている。また城回りの石垣・塀などの間数のほかに、城下を流れる諸河川の川幅、干満時の水深、橋の長幅などが詳細に記載されている。安宅の「舩置所」は土塁と石垣で囲まれていて、周辺には船頭屋敷・水主屋敷・船大工屋敷・鍛冶屋敷などが配置されている。沖之洲にも水主屋敷のほかに沖洲川に面して八軒船屋と思われる石垣を施した船入りが確認できる。なお当絵図はこれまで天和三年の作製と考えられてきたが、延宝六年に再び「徳島」に改められる「渭津」という地名が用いられていること、同年に成立した支藩富田藩(享保一〇年に廃藩)の「飛州様御屋敷」が東富田に図示されていることから、作製時期は延宝六年頃の可能性もある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android