20世紀日本人名事典 「阿部政太郎」の解説
阿部 政太郎
アベ マサタロウ
- 生年
- 安政6年12月(1859年)
- 没年
- 昭和9(1934)年10月4日
- 出生地
- 陸奥国津軽郡浪岡村(青森県浪岡町)
- 学歴〔年〕
- 青森県師範予科〔明治11年〕卒,明治法律学校(現・明治大学)卒
- 経歴
- 陸奥津軽郡浪岡村の神官の長男に生まれる。父は考古学愛好家でリンゴ栽培の開拓者であった。明治11年青森県師範学校予科を卒業し、小学校教員となるが、のち青森県医学校監事、青森県御用掛を経て、上京し明治法律学校に学ぶ。帰郷後、政治を志し浪岡村議、南津軽郡議、青森県議などを経て、41年衆院議員(政友会)に当選、1期務める。大正6年青森市長となり、一家で青森市に転居するが、8年青森市議選挙無効の責任を取り辞職する。14年再び青森市長に就任した。通算在職年数は4年で、この間、青函貨物輸送の開始、公会堂の新築、鉄道操車場の設置などを手掛け、青森市の発展に貢献した。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報