院内関所跡(読み)いんないせきしよあと

日本歴史地名大系 「院内関所跡」の解説

院内関所跡
いんないせきしよあと

[現在地名]雄勝町上院内 関ノ口

雄物川の上流上院内かみいんない村の南はずれに位置する。羽州街道の新庄藩領(現山形県北部)への出入りを取り締った。

慶長八年(一六〇三)雄勝峠(院内杉峠)が整備されており、関所はその後に設置されたものと思われる。湯沢町方肝煎留書に「六郡御当所者雄勝郡院内口ハ御関所也」とあり、関所と呼称したが、被仰渡書抜(秋田藩町触集)によれば、寛政四年(一七九二)からは「御境口」とよび名が変わった。

享保一三年(一七二八)の院内一円之図(秋田県庁蔵)によれば、西脇に口留番所・番所役屋敷が置かれ、街道を挟んで町屋・足軽屋敷の地割がみられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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