日本大百科全書(ニッポニカ) 「陳其美」の意味・わかりやすい解説
陳其美
ちんきび / チェンチーメイ
(1878―1916)
清(しん)末民国初めの政治家。字(あざな)は英士。浙江(せっこう)省呉興県の人。陳果夫(ちんかふ)、陳立夫(りっぷ)の伯父。上海(シャンハイ)の生糸問屋に働いたが、革命思想の影響を受け、1906年(明治39)日本に留学。中国同盟会に加入し、1908年帰国後、上海で『中国公報』『民声叢報(みんせいそうほう)』を発刊し、革命を宣伝した。1911年宋教仁(そうきょうじん)らと同盟会中部総会を組織し、揚子江(ようすこう)流域の革命運動を推進。同年10月武昌蜂起(ぶしょうほうき)に呼応して、11月上海蜂起に活躍。蜂起成功後、上海紳商の支持を得て上海都督となったが、袁世凱(えんせいがい)により解職された。1913年第二革命に参加し、日本に亡命。中華革命党に加入し、帰国して討袁運動に従事したが、1916年5月袁世凱により上海で暗殺された。
[石島紀之]