精選版 日本国語大辞典 「中国同盟会」の意味・読み・例文・類語
ちゅうごく‐どうめいかい ‥ドウメイクヮイ【中国同盟会】
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中国で最初の明確な綱領をもった、全国規模の革命政党。義和団事件後の、清(しん)朝の支配体制の再編過程(新政運動)に、留学生の派遣や、学校設立が奨励されたことから、知識青年の数的増大がもたらされたが、1905年の日露戦争における日本の勝利と、ロシア革命の影響のもとに、留学生を中心に革命勢力の結集が進んだ。同年夏、孫文(そんぶん)の来日を機に、黄興(こうこう)、宋教仁(そうきょうじん)、宮崎寅蔵(とらぞう)(滔天(とうてん))らの画策により、興中会、華興(かこう)会、光復会など革命諸派の大同団結が図られ、甘粛(かんしゅく)省を除く全国17省の代表による討議を経て、8月20日に東京で結成大会が開かれて、加盟者は300余名に上った。孫文と黄興を正・副会長とし、執行、評議、司法の三部を置き、各省の責任者を決めた。11月、機関誌『民報』が発行されたが、孫文は「発刊の詞」において、初めて民族・民権・民生の三大主義(三民主義)の理論体系を明確化した。こののち、革命派は民主共和の革命を唱えて、君主立憲を目ざす改良派と論戦を交えたが、『民報』の発行部数は4、5万部に上り、ひそかに中国国内に持ち込まれて、大きな影響を与えた。また、革命展開の手順を決めた「革命方略」も定められて、1906年の萍郷(ひょうきょう)事件をはじめ、中国南方を中心に数次の反清武装闘争が展開され、辛亥(しんがい)革命が準備されていった。中華民国の成立に伴って公開政党とされ、ついで国民党に改組された。
[野澤 豊]
孫文の率いた革命的政治団体。日露戦争およびその後の世界情勢に刺激されて,中国人の間に革命的機運が高まり,反満興漢運動を続けてきた興中会,華興会,光復会は,1905年東京で中国同盟会(総理は孫文)に発展的解消をとげた。基本綱領として孫文の年来の主張「駆除韃虜(たつりょ),恢復(かいふく)中華,創立民国,平均地権」が掲げられ,数次の武装蜂起の中心勢力となった。機関紙『民報』は青年層に大きな影響を与えた。12年公開政党となる。
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…04年,蜂起に失敗して日本に逃げ,宮崎滔天にめぐりあった。翌年,滔天を介して来日した孫文と対面し,協力して中国同盟会を創立,ナンバー2の地位に就いた。同盟会時代,黄興は武装蜂起の前線指揮官として八面六臂の活躍をし,敵からもその豪胆を称賛された。…
…さらにその翌年を最後として科挙が廃止されると,知識人の革命化はおしとどめえぬ趨勢となった。05年8月の東京での中国同盟会の成立はその端的な表現である。同盟会は一面では《民報》によって革命世論の形成につとめるとともに,他方では革命的テロルと武装蜂起を精力的に遂行した。…
※「中国同盟会」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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