中華民国成立当初、孫文が組織した革命秘密結社。辛亥(しんがい)革命後、中国同盟会は宋教仁(そうきょうじん)を中心に小党を糾合して国民党を結成、議会によって袁世凱(えんせいがい)の独裁強化を抑えようとしたが効果なく、反袁の第二革命(1913.7)にも敗れた。孫文は敗因を組織の散漫さに求め、1914年(大正3)亡命先の東京で、彼に絶対服従する秘密結社として中華革命党を結成した。民権主義、民生主義、専制打破を宗旨としたが、組織は非大衆的となり、活動はテロ、軍事冒険に終始し、第三革命(1916)、護法運動にも有効に動けず、五・四運動後、大衆的政党への脱皮を目ざして19年10月上海(シャンハイ)で中国国民党と改称、公開政党となった。
[若林正丈]
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孫文が組織した革命的秘密結社。孫文は第二革命の失敗は革命政党の組織の散漫にあるとして,1914年東京で中華革命党を結成し,専制政治の排除,完全な民国の建設を目的とした。19年中国国民党に発展,解消した。
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…少年時代に上海に渡って中国語を習い,やがて宮崎寅蔵(滔天)とならぶ中国革命の支持者となった。その活動は多彩だが,中華革命党の組織には深く関与し,顧問となった。孫文の臨終によばれた唯一の日本人である。…
…袁世凱は独裁支配を強化し宋教仁を暗殺したので,孫文は第二革命を起こしたが敗れ,日本に亡命のやむなきにいたった。14年国民党を改組して中華革命党を組織し,日本の政界,軍部,実業界などから援助を得ようとしたが成功しなかった。しかし15年末第三革命を起こし袁世凱の帝制運動を挫折させた。…
…孫文を臨時大総統とする南京の中華民国臨時政府が袁世凱に権力を移譲した後,同盟会を基礎に他のいくつかの小党派と連合して12年8月国民党を創立,孫文が理事長となった。第二革命失敗後,国民党は解散させられるが,孫文は14年,東京で中華革命党を組織し,反袁革命活動を続けた。19年,五・四運動がおこり,知識人,民族ブルジョア階級,労農大衆の間に反帝反軍閥の気運が高まる中で,中華革命党は大衆的基盤を持つ公然の政党に発展すべく中国国民党と改称,孫文を総理とし,〈共和を強化し,三民主義を実行する〉ことを宗旨とした。…
※「中華革命党」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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