陳興道(チャン・フンダオ)
Tran Hung Dao
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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世界大百科事典(旧版)内の陳興道の言及
【チャン朝】より
…モンゴルは1257,84,87年の3度ベトナムを襲うが,特に1283年には[チャンパ]の征討の道を得ると称して,数十万の元軍が陸・海路よりベトナムに侵入しようとした。上皇チャン・ニャントン(陳仁宗)は天下の父老を集めて徹底抗戦を宣言し,[チャン・フンダオ](陳興道)を国公として諸軍を率いさせた。84年元軍はベトナムに入寇し,翌年昇竜城(ハノイ)を占領し,上皇は南方に逃れた。…
【チャン・フンダオ】より
…13世紀,元軍の侵攻を打ち破ったベトナムの民族英雄。本名はチャン・クオック・トゥアン(陳国峻)であるが,興道王であったことからこの名が一般的。宗室の一族に生まれ,幼時から群書を博覧して著名であった。1257年モンゴル軍の第1回侵入に際しては北辺を守って大功をたて,83年,元軍の第2回侵攻に際して,国公としてベトナム軍の総指揮官に任じられた。85年,一時はハノイに侵入した元軍のために,中部ベトナムのタインホアにまで退却したが,清野策(敵が利用できぬよう家屋などを取り払う作戦)をもって元軍を苦しめた後,バンキエップ(万劫)で大破してベトナム境外に駆逐した。…
※「陳興道」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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