陳興道(読み)ちんこうどう

山川 世界史小辞典 改訂新版 「陳興道」の解説

陳興道(チャン・フンダオ)
Tran Hung Dao

1226~1300

元寇(げんこう)を撃退したベトナム名将陳(チャン)朝王族で正式には興道大王陳国峻(チャン・クォック・トゥアン)。3度の元寇と戦い,1288年の白藤江(バックダン川)の戦いで最終的に勝利した。死後は民族英雄として崇拝され,近世には代表的な男性神となった。

陳興道(ちんこうどう)

陳興道(チャン・フンダオ)

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改訂新版 世界大百科事典 「陳興道」の意味・わかりやすい解説

陳興道 (ちんこうどう)

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世界大百科事典(旧版)内の陳興道の言及

【チャン朝】より

…モンゴルは1257,84,87年の3度ベトナムを襲うが,特に1283年にはチャンパの征討の道を得ると称して,数十万の元軍が陸・海路よりベトナムに侵入しようとした。上皇チャン・ニャントン(陳仁宗)は天下の父老を集めて徹底抗戦を宣言し,チャン・フンダオ(陳興道)を国公として諸軍を率いさせた。84年元軍はベトナムに入寇し,翌年昇竜城(ハノイ)を占領し,上皇は南方に逃れた。…

【チャン・フンダオ】より

…13世紀,元軍の侵攻を打ち破ったベトナムの民族英雄。本名はチャン・クオック・トゥアン(陳国峻)であるが,興道王であったことからこの名が一般的。宗室の一族に生まれ,幼時から群書を博覧して著名であった。1257年モンゴル軍の第1回侵入に際しては北辺を守って大功をたて,83年,元軍の第2回侵攻に際して,国公としてベトナム軍の総指揮官に任じられた。85年,一時はハノイに侵入した元軍のために,中部ベトナムのタインホアにまで退却したが,清野策(敵が利用できぬよう家屋などを取り払う作戦)をもって元軍を苦しめた後,バンキエップ(万劫)で大破してベトナム境外に駆逐した。…

※「陳興道」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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