日本歴史地名大系 「階見村」の解説 階見村しなみむら 広島県:甲奴郡上下町階見村[現在地名]上下町階見、神石(じんせき)郡三和(さんわ)町階見矢多田(やただ)川最上流に位置し、東は神石郡木津和(きつわ)・高蓋(たかふた)の両村(現三和町)、南西は岡屋(おがや)、北西は二森(ふたもり)・小堀(こほり)の村々に接する。「師守記」貞治三年(一三六四)四月二日条の紙背文書に、鎌倉時代末期頃と思われる播磨国書写山東円院訴状があるが、そのなかに「備後国有福庄内郡戸階見雨(ママ)郷」という文言がみえ、中世には有福(ありふく)庄に含まれた地であったことが知られる。元禄一一年(一六九八)福山藩領より幕府領となり、享保二年(一七一七)以降は豊前国中津藩領。元和五年(一六一九)の備後国知行帳には志浪村として六七〇石余を記すが、元禄一三年の備前検地帳には村名・石高の記載がない。 階見村しなみむら 広島県:神石郡三和町階見村[現在地名]三和町階見、甲奴(こうぬ)郡上下(じようげ)町階見高蓋(たかふた)村の西に位置し、甲奴郡に属する。階見村の大部分は現上下町であるが、昭和二九年(一九五四)黒木谷(くろきだに)ほか切田(きりた)・保賀羅木(ほがらき)・別所(べつしよ)・林河内(はやしがあち)・菖蒲迫(しようぶざこ)など二〇余の小字が神石郡高蓋村に編入され、現在三和町階見となっている。その地域はかつての階見村の東南部にあたる(甲奴郡の→階見村)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by