隼人石(読み)はやといし

改訂新版 世界大百科事典 「隼人石」の意味・わかりやすい解説

隼人石 (はやといし)

奈良市法蓮町字大黒ヶ芝にある聖武天皇皇太子那富山(なほやま)墓に所在する石造物。那富山墓は南北9m,東西6mの墓域に方形墳丘をもつが,その頂上石柵内の四隅に埋められているという。もと7基あり,七疋狐と称したこともあるが,《大和名勝図会》には3石を記述している。一は長さ1.2m,幅0.9m,厚さ0.9mの自然石に像高0.8mの鼠頭裸人立像を刻み,頭上に〈北〉字を置く。二は長さ0.8m,幅0.3m,厚さ0.4mの自然石に像高0.68mの兎頭裸人座像を刻み,頭上に〈東〉字を置く。三は頭上に〈南〉字を刻んだ馬頭像であるという。七疋狐の称からすれば四隅四辺の8方,また,《図会》の3石からすれば東西南北(卯酉午子)の4方に4像をたてたことまでは推察される。おそらく新羅掛陵(慶州)の十二支護石と同様の十二支像として配置していた可能性が強い。宮門守護の隼人の犬咆を鼠頭子像に重ねて隼人石とよぶが,この名称は適切でない。墓主とされる皇太子の死去埋葬は神亀5年(728)9月である。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「隼人石」の意味・わかりやすい解説

隼人石
はやといし

奈良市奈良阪町の奈保(なほ)山中に存在する伝那富山(なほやま)墓(聖武(しょうむ)天皇皇太子墓)の墳周に樹立されている立石。かつて七石あったと伝えられているが、現在は像容が線刻されている四石が認められる。上部に「北」と刻す鼠頭(そとう)立像(像高0.8メートル)、「東」と刻す兎頭坐像(ととうざぞう)(像高0.68メートル)、そして動物(牛?)坐像(現存高0.75メートル)、同じく動物(犬?)像(現存高0.66メートル)がみられ、四像以上を配置していたことが想定される。これらの奇異な仮面をかぶる獣頭人像より、宮廷に奉仕する隼人の姿を連想して隼人石と慣用されてきている。また狐石(きつねいし)、七疋(ひき)狐ともいわれる。近時、その性格については、十二神像とする説が有力になってきている。

[坂詰秀一]

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世界大百科事典(旧版)内の隼人石の言及

【海人】より

…前者は,古典にみえる阿曇(あずみ)系およびその傍系である住吉系漁労民で,中国南部の閩越(びんえつ)地方の漂海民の系統をひき,東シナ海を北上し,山東半島から遼東半島,さらに朝鮮半島西海岸を南下し,多島海,済州島方面を経て玄界灘に達する経路をたどったと推定される。後者は,宗像(むなかた)系海人と呼ばれ,フィリピン付近海域から黒潮の流れに沿ってバシー海峡,台湾,沖縄,奄美諸島などサンゴ礁の発達した島嶼(とうしよ)を伝って南九州に達したと考えられ,古典にいう隼人(はやと)系に属する。両系の種族が日本へ達した前後関係は明らかでないが,玄界灘で交差し,混血も行われたであろう。…

【海幸・山幸】より

…これが鸕鷀草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)で,神武天皇はその子である。一方ウミサチは隼人(はやと)族の祖となった。 記紀神話におけるこの話の意義はすこぶる大きい。…

【木花開耶姫】より

…一夜にしてはらんだとされるのは,この説話が国津神(くにつかみ)の娘が大地の象徴として天津神(あまつかみ)の子である王の即位の日に一夜だけ女王を演じて子を産むという聖婚儀礼を下地にしているからである。サクヤビメの別名をアタツヒメというのは薩摩国阿多郡にちなんだ名であり,子のホデリは隼人(はやと)阿多君の祖とされる。つまり降臨したニニギノミコトは実は隼人の娘と婚したことになるわけで,このサクヤビメの説話は隼人の服属とも関係する。…

【隼人司】より

隼人を管掌する役所。天武・持統朝のころ,大隅隼人,阿多隼人の一部は畿内および周辺地に移住させられ,番上して,宮門守護,歌舞の演奏,竹笠の造作等に当たった。…

※「隼人石」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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