デジタル大辞泉 「仮面」の意味・読み・例文・類語
か‐めん【仮面】
2 本心や素性を隠すもの。「とりすました人の
本来は、変装・化身のため顔を覆う造形物のマスクmaskをさすが、顔面につけずに頭の上あるいは胸や腹につけるマスケットmasketteや、着用を目的としない顔的彫刻や造形物のマスコイドmaskoidや、全身を覆うような巨大なマスクをも「仮面」とよぶ。仮面を字の示すとおり解釈すれば「仮の面(顔)」、つまり本来の顔ではない借りものの顔のことであるが、ここに二つの問題がある。
(1)一般的には仮面は木、金属、紙、粘土、動物の皮、貝の組合せ、編んだ靭皮(じんぴ)繊維などでつくられた造形物のことであるが、人間の顔面に色彩を塗り付けメーキャップし、牙(きば)や角(つの)や鳥の羽などをつけて変装・化身した顔を「仮面」とよんでよいかの問題。これは変装・化身を目的としているので、仮面に含めてよい。
(2)剣道の面やフェンシングのマスク、あるいは防虫・防毒・防寒用のマスクのように、顔面を保護するためのマスクを「仮面」とよんでよいかの問題。顔を覆うことにより本来の顔とは違ってくるので広義では「仮面」の要素があるが、変装・化身の目的がないので狭義では除外すべきであろう。甲冑(かっちゅう)には顔面保護の防具をつけたものがあるが、これには防具の要素とともに敵を威嚇するデザインも少なくないので、これらは前述の広義と狭義の中間的存在といえよう。
人類はなぜ「仮の面」(仮面)を必要としたか。仮面は、旧石器時代に属するラスコーの洞窟(どうくつ)壁画をみてもわかるように、人類文化の原始時代から存在し現在に至っているし、地球上の各地域に多様に存在している。仮面の起源や分類を述べる前に、仮面のもつ本来の機能を考察すると、それは人類の本能に近い変身願望を満たすものである。人類は強大な他の動物に比較すると、肉体的にきわめて非力である。そのうえ、他の動物と違って、死、病気、災禍などを事前に意識して不安になる。また、ありのままの姿ではとうてい満足しないし、できない性格をもつ。いいかえれば、不安で弱い存在の自分を知るとともに、一方そうした自己を超えたいという欲求を強烈にもっている。こうした本質的に矛盾した二重性をなんとか克服するため、人類は仮面を用いた。仮面は、かぶることだけで存在自体の表情を変えることを可能にする。神や祖霊や妖怪(ようかい)などの仮面をかぶれば、人類はそれら超自然的存在になった気になれる。こうした超自然的存在の仮面のほかに、人間や死者や動物などの仮面もつくり、それらを組み合わせれば、この世のあり方も説明できる。その組合せを人類が思い望むようにつくり、模倣呪術(じゅじゅつ)を演劇的に行えば、聖なるものが凶なるものの上に君臨し、招福除災の儀式ができる。したがって、成人式、祖霊祭祀(さいし)、狩猟農耕の豊饒(ほうじょう)の儀式、雨乞(あまご)い、葬祭などに、仮面の果たす役割は大きい。また、仮面をかぶることにより、人は自己であると同時に自分以外の別の存在ともなるので、自己と自己以外のものとの重複がおこり、両者の交流が仮面によって可能になる。
したがって、仮面の「仮」とは、自己以外の存在のことであり、本来の自己の顔が仮の顔より優先するということではない。能で仮面を「おもて」とよび、古代ギリシア劇で仮面を「ペルソナ」とよぶのは、むしろその反対で、仮の面を人間本来の顔よりも優先させている名称といえよう。少なくとも、仮面をつけている間は、仮面は実際の顔よりも優先される。なぜなら、そのために仮面をつけるのであり、仮面には使用の目的がそれぞれあるからである。さらにこれを一歩進めて考えれば、人間がたとえば神や精霊や妖怪悪魔や祖霊や死霊などの仮面をつけ、それらの存在となり、一般の人々が仮面をつけた人間をそれらの超越的な存在とみなすという図式ができるので、仮面は超越的存在と人間とが霊的に交流する媒体となるもの、といえよう。
[深作光貞]
仮面の起源にはいろいろな説がある。仮面は主として呪術的宗教的儀礼や祭祀を中心に発達したが、そうした儀礼や祭祀は地域や文化によって多少とも異なるため、起源も一つに絞ることは不可能で、起源説がさまざまなことは仮面の機能の多様さのためであるといえる。大別してどのような仮面があるかをみてみよう。
[深作光貞]
死者の霊は不滅としても、遺体は腐る。腐らないようにミイラにするには布巻きをする。布巻きをすると、だれのミイラかわからなくなるので、布巻き遺体に仮面をつけ、だれの遺体かを明らかにする。ツタンカーメン王で有名な古代エジプトの王や王族・貴族の黄金の仮面や、古代アンデス文化のミイラの包みの上に置く飾り首の仮面も、このような必要からである。これは生者のためでもあり、死者のためでもある。死霊は超越的能力をもつものとされているので、生者は死者を供養し鎮魂しなければならないし、死霊は自分のすみかである遺体がわからなくなると生者に危害を加えかねないからである。古代エジプトでは霊は心臓に宿ると考えられていたが、世界では霊は頭に宿るとする所が多い。こうした所では、頭蓋(ずがい)骨のみを関心の対象とする傾向が強い。たとえば、アマゾンのムンドゥルク人は、脳や舌や目や歯を取り除き、とろ火で気長に表皮のついた頭蓋骨を乾燥させ、眼窩(がんか)に樹脂や蝋(ろう)を詰め込み、みごとな顔づくりをした。ニューギニアには、遺体が腐り終わったころ墓から頭蓋骨だけを取り出し、粘土で生前の顔に造形し、額や目に貝をちりばめ、毛髪をつけ美しい文様を顔面に施し、一家一族のだいじな祖霊として保存するアブマ人などの風習がある。しかし、メソポタミア、フェニキアをはじめ世界の多くの地で発見される金、銀、銅、テラコッタなどの埋葬用仮面は、死者の顔にかぶせたもので、腐りゆく遺体に対する執着を捨て、造形物の仮面に故人の不変のおもかげを定着させたものである。その仮面が金銀などの材料で威厳のあるシンボリックなものであれば満足した地方もあるが、たとえばアッシリアのように、生前の顔と似ていることを重視した所もある。こうした所では直接に死者の顔から型をとった。ただし、今日でいうデスマスクと違うところは、これを死者の顔でなく生前の顔に仕立て、これをかぶることで死者を生きている存在とみなしていた点である。
他方、遺体を離れた霊はあの世に行って定住するものとする文化では、この世に執着してなかなかあの世に行こうとしない死霊を遺体から追い出し天界に旅立たせるため、生者たちが恐ろしい形相の仮面をかぶり死霊を脅す風習がある。その代表的なものがアフリカのドゴン人の仮面で、人々は葬儀の間の6日間、死霊を恐れさせるための仮面をつけて、追い出しの踊りを踊り続ける。
[深作光貞]
いままで保護されてきた子供が一定の年齢に達し、これからは共同体の一人前の成員となり共同体を保護する立場に変わる通過儀礼が成人式initiationである。近代社会以前の封建社会あるいは未開社会において、一人前の成員となることは、肉体的、精神的、能力的に一人前であることと同時に、その社会の求める人間となり、その社会の信仰やしきたりに従い、それらを支える者でなければならない。その通過儀礼で、仮面は重要な役割を担う。すなわち、長老たちは威圧的な怪奇な超人間的存在の仮面をかぶり、成年の儀式の少年たちに恐怖を与え、社会への忠誠と服従を誓わせる。成人とは、自分のなかの少年を殺し、大人として生まれ変わることであるから、成人式の試練期間中は幼い精霊の仮面をつけていて、その仮面を取り除く儀式が成人認可の式とする所もある。オセアニアでもアフリカでもアメリカ先住民の世界でも、その社会結成を秘密結社組織にしている部族が少なくなく、そうした社会での成人式は、宗教儀礼と試練訓練を内容とする入門式の性格をもつ。こうした秘密結社の入門には掟(おきて)や信仰が重視されるので、神像的仮面や祖霊の仮面がだいじで、大形の多様でみごとな仮面が用いられる。とくにニュー・アイルランド、ニュー・カレドニア、ニューギニアなどのオセアニアの仮面は、木彫りのほか樹皮張りや編んだ靭皮繊維や籐(とう)などを駆使してダイナミックな美しさを示している。一方、アフリカの仮面は、独特の力強い造形の木彫りで、これまた美術的に優れていて、世界的賞賛の的となっている。
[深作光貞]
世界の諸文化には、仮面のある文化とない文化とがある。これを狩猟、牧畜、農耕の次元から眺めると、牧畜文化には仮面はほとんどない。それは、祖霊、神霊などの超越世界との媒体としての供犠(くぎ)に、家畜そのものが使われるので、とくに仮面という媒体を必要としなかったためであろう。狩猟文化には、あまり多くはないが仮面が存在している。仮面の起源説に狩猟起源説があることも事実である。すなわち、狩猟生活を営む原始人たちは擬装して獲物に忍び寄ったので、その擬装が仮面の始まりになったという説、あるいは、殺した獣の霊を慰め、その繁殖と捕獲を祈る呪術儀礼に動物の仮面を用いたという説もある。確かに原始美術の洞窟画にそのような光景がみられる。そして、数は少ないがアフリカなどの部族社会に狩猟仮面が存続している。次に、農耕文化では仮面をしきりに用いる。農耕は、労働の成果以上に天候に左右される。収穫がなければ飢餓につながる。そこで呪術によって天候を自分たちに有利に操作することが重要となり、農耕儀礼が盛んになり、仮面がしきりに使用されたわけである。そのなかでも熱帯多雨地域の農耕民にとくに仮面が多い。その仮面にはアニミズム色が強いことが特徴である。ただし、一般的に仮面そのものは、材料的にも作製技術的にも素朴なものが多い。
[深作光貞]
トーテミズムとは、ある社会集団が特定の動植物あるいは自然物などとなんらかの特殊な関係にあるとする信仰およびその制度のことである。トーテム集団ではそれらの動植物を自分たちの集団の象徴として占有し、それに関するタブーを厳しく守る。いいかえれば、祖霊信仰のある特殊な形態であり、遠い先祖がどのようにしてその動植物や自然物と結び付いたかを神話で物語っている。動物のトーテムには、ヘビ、タカ、ヒョウが多いが、宗教儀礼でもその結び付きを再現するために仮面が不可欠になる。こうしたトーテムの仮面は、祭り以外のときでもトーテムの霊が宿り強大な呪力をもったものとして、たいせつに保管される。トーテムを象徴する絵画や彫刻あるいはトーテムポールも、人間の祖先とトーテム動植物を結び付けるため顔面が描かれる。こうしたトーテム仮面ではアメリカ・インディアンのものがすばらしく、動物的であって人間的、いわば人間と動物の顔が一つの仮面に組み合わされている。一方、オセアニアのトーテム仮面には、厳しい現実を激しい力で超越したい願望から、奇怪でグロテスクな迫力がある。その点、アフリカのトーテム仮面は、シカ、ピューマ、ヒョウなどを細長く美しく彫っていて様式化された落ち着きをもつ。形も帽子のように頭からかぶる仮面が多い。こうしたアフリカの仮面が、近代美術の創始者たちピカソやマチスやブラックたちに影響を大きく与えていることは承知のとおりである。とくにピカソは、アフリカのトーテム仮面の大胆でナイーブな美しさをもつ造形に興味をもち、自分の制作に取り入れたといえよう。一方クレーやミロは、オセアニアのものに興味を示したことも、よく知られていることである。
[深作光貞]
シベリアから中国、朝鮮、日本などアジア北東部を中心に、アメリカ・インディアン文化にわたって、シャーマニズムが顕著にみられる。すなわち、トランスのような異常心理状態になって、神や精霊や死霊と直接交流し(神がのりうつる)、占い、予言、治病、祭儀などを行うシャーマン(呪術的宗教的職能者)を中心とする宗教形態である。シャーマニズムには、シャーマンが仮面を用いるものと用いないものとがある。かつては用いたが、いまは用いないものもある。たとえば、日本のシャーマンは現在仮面を用いないが、秋田の祭りの「なまはげ」は、かつてのシャーマン的仮面が民俗行事として残ったものではないか、とみなす者もいる。現存するシャーマンの仮面で、もっとも知られているのはエスキモーのそれである。シャーマンは天高く地下深く自由に行動し、善霊にも悪霊にも接し、得た情報で人々の除災を図る。このときシャーマンが顔や姿を悪霊に知られたら、どんな仕返しを受けるかわからない。そこで変装する必要がおこった。樹木も生えない極寒地なので、仮面は獣皮に獣毛を配したものが多く、全身すっぽり覆う獣皮製のものもある。仮面の特徴は、神秘的な雰囲気のなかにも、天高く地下深く自由に行動するような一種の身軽さをもっていることであろう。アメリカ大陸のプエブロ・インディアンのカチナ仮面もよく知られている。カチナとは、創世神話に登場する人物、鳥などの動物、超自然的存在などの神々のことで、踊り手たちは仮面を頭巾(ずきん)のようにすっぽりかぶって踊る。その木彫りが有名なカチナ人形である。乾燥した高原なので、シャーマンの最大の役割は農耕の雨乞いの儀式の主催であり、カチナ仮面も雲や雨の霊、空、大地、星などの神々を表している。
[深作光貞]
病気をはじめとする災禍は、悪霊の仕業と考える。たとえば病気は悪霊が人体に侵入したことによっておこるものとみなす。したがって、病気を治すこととは人体から悪霊を追い出すことになる。いわゆる未開社会では、治病と悪霊払いは同一のものである。悪霊を追い払うには、それ以上の力で対抗しなければならない。したがって、シャーマンが恐ろしい形相の仮面をつけ、太鼓など打ち鳴らして祈祷(きとう)する風習が珍しくない。こうした仮面ではアフリカのコンゴのキフェベ仮面が造形的に優れている。病気ばかりでなく種々の厄払いの盛んな所の一つが日本で、節分をはじめとして悪鬼・災禍を払う祭り用の鬼などの面が多彩にある。こうした仮面は、家に掛けておくだけで招福除災になるとされ、飾り仮面として世界のあちこちに存在する。
以上のように、仮面は社会生活の宗教的・呪術的儀礼、人生の通過儀礼で重要視され、祭祀や行事を中心として使用された。
[深作光貞]
仮面という語を分解すると、文字どおり仮の面となる。この場合、われわれは本当の顔、すなわち素顔を隠蔽(いんぺい)したにせの顔、変装した顔という解釈をしがちである。しかし哲学の分野では、この矛盾がすでに指摘されている。哲学者、和辻哲郎(わつじてつろう)は、その著書『面とペルソナ』のなかで、劇に用いられる面を意味した「ペルソナ」の語が、劇中における役割、人物を示すようになり、さらに劇から離れて人間生活における役割、地位、身分などにまで意味を転じるようになる歴史を説明している。つまり仮面は、一方で劇中の他の役者や観客との関係のなかで、他方、現実生活に意味を広げれば、他の人々とのかかわりにおいて初めて意味をもつものなのである。いいかえれば、人間は、他者とのかかわりあいに応じて、自分の仮面をもち、別の仮面と取り替えるのである。ある場面では子供の親であったり、別の場面では会社の社員であったりするわけである。役割を離れた、すなわち仮面をもたない人間の存在はない。仮面を人格の面に限定したとしても、仮面を取り去ったあとに素顔があるという考え方は、神を殺し、自我とか主体、アイデンティティの存在を信じたヨーロッパ近代思想に由来するものである。
しかし、いわゆる未開社会をはじめとする儀礼で、実際に仮面という物体を顔から取り去れば、そこには生きた人間の顔があるわけで、やはり物理的に取り外しのきく仮面と、現代人の生き方から読み取れる、いわば非物質的な仮面とは区別して論じるべきであろう。
前者については、これまで表現描写、それがもたらす印象、美術的価値、民族誌的機能論も加えて盛んに論じられてきている。仮面のもつ機能についてはすでに詳しく述べられているので、ここでは構造論的解釈に触れておこう。構造主義人類学者と称されるフランスのレビ(レヴィ)・ストロースは、その著書『仮面の道』のなかで、北アメリカ北西海岸に住む先住民であるサリシュと、彼らの北に住むクワキウトルの双方にみられる儀礼用仮面を分析している。サリシュのスワイフウェ仮面は、垂れ下がった舌と突き出た目、白色系の塗彩を特徴にもち、ポトラッチ儀礼で登場する。さらにこの仮面は、神話の世界でつねに富と結び付き、儀礼でもその点が明らかにされる。これに対し、クワキウトルのクウェクウェ仮面は、その名の語源、あるいは造形的観点からみて、同一の起源と表現要素を備えているにもかかわらず、神話や儀礼から読み取れる意味は、富とは正反対の内容を示している。むしろ富と結び付くのは、クワキウトルの冬の儀礼でみられるゾノクワ仮面であって、これはくぼんだ目、すぼめた口、黒色系の装飾をもち、前述の二つの仮面とは造形上対極に位置している。南から北への伝播(でんぱ)経路を想定するレビ・ストロースは、文化が仮面を受容する過程で、造形的特徴が保持される場合は、意味のレベルで逆転がみられ、意味のレベルが保持されれば、造形面での逆転がおこるという結論に達している。仮面と特定の民族の特定の儀礼という場に固定して、そのメッセージを読み取ろうとしがちな分析とは異なり、一つの仮面をつねに他の仮面との対比関係構造内に置いて分析している。これは、神話や儀礼の分析ですでに適用されている手法ではあるが、造形芸術に用い、その形や様式が潜在的にもつ隠れた意味論的秩序を明らかにし、さらにより包括的な宇宙論的レベルにまで迫ろうとした意義は大きい。
[関 雄二]
日本では能面、狂言面などの影響を受けて、子供の遊び道具として小形の面が製作され、流行するようになった。玩具面(がんぐめん)が売り出されるようになったのは江戸時代からで、材料には主としてキリ、スギ、ヒノキなどを用いた木彫りのものと、紙の張り子製とがあった。神社寺院の祭礼、縁日などで信仰的な護符(ごふ)として面が授与され、縁起物として売られた。当時の稲荷(いなり)信仰から生まれた初午(はつうま)の狐面(きつねめん)や、神楽(かぐら)、歌舞伎(かぶき)、年中行事、伝説を面玩具化したものなどがある。種類も、おかめ、ひょっとこ、鬼、般若(はんにゃ)、天狗(てんぐ)、動物類と多種多様で、明治期以降は陸海軍人や剣劇俳優などの面が出現した時期もある。木彫り面は大正期から姿を消したが、張り子面は現在も郷土玩具として全国各地にある。厚紙製の目鬘(めかずら)という半面型のものもあり、花見などに用いられ、子供の遊び道具にされた。セルロイド製が大正期から出回った。最近はテレビや漫画の人気者を扱ったマスコミもののビニル製のものがみられる。
[斎藤良輔]
『レヴィ・ストロース著、山口昌男他訳『仮面の道』(1977・新潮社)』▽『山城祥二編『仮面考』(1982・リブロポート)』▽『和辻哲郎著『面とペルソナ』(1937・岩波書店)』▽『坂部恵著『仮面の解釈学』(1976・東京大学出版会)』▽『泉靖一他編『世界の仮面と神像』(1970・朝日新聞社)』
現代人はさまざまな日常生活の状況に応じて〈仮面=人格〉を使い分けるという比喩的な意味で〈仮面〉ということばがよく用いられる。この〈人格〉の語源ペルソナも,エトルリア地方の死者にかぶせるマスクの呼名に由来するといわれる。しかし,具体的なものとして,儀礼や祭りに用いられる仮面の特徴は,日常生活とは異質な状況の中に〈出現〉してくる点にある。パプア・ニューギニアの諸族の〈精霊〉〈守護霊〉を表す仮面にせよ,アフリカ,リベリアのポロ結社やマリのドゴン族のアワ結社に代表される〈秘密結社〉の組織の核としての仮面にせよ,アマゾン地方のインディオの森にすむ獣の仮面にせよ,仮面は日常世界からは不可視の世界,他界あるいは霊界,人間の領域とは次元を異にする自然界,死者の世界からこの世界へと出現し,突出し,両者を媒介する中で,不可視のものを眼に見える姿で現出するという意味を担っている。仮面が出現する時,〈儀礼〉〈祭り〉は,同時に,その仮面の起源が反復される時でもあり,仮面を用いた祭礼の多くは,仮面の起源を再現する劇の構造を萌芽として含んでいる。仮面は,神話的宇宙論的な意味を負荷されており,そのエネルギーによって,日常を超えた空間に出現し,日常の時間の流れを中断し,仮面そのものの中に宇宙の構成要素をとりこむことによって時空を凝縮し,起源の時を再現し,時の流れを変えてしまうのである。こうして多くの仮面が起源神話をもっている。パプア・ニューギニアのオロコロ族においては,〈コバベ〉〈ヘベヘ〉〈エハロ〉という3種の仮面が区別され,男を中心に儀礼の中で用いられる。その起源は,かつて,海の妖怪が殺され八つ裂きにされ食われてしまったが,その内臓の中から女が発見したとされる。西アフリカのドゴン族には,人間としての最初の死者(それまでは人間は死後再生していたという)の老人を表す高さ10mの1本の木で作った仮面を中心に60年に1度祝われるシギと呼ばれる祭礼がある。その起源も複雑で広大な神話群の一部を形づくっている。かつて1度死んだこの老人は,死後大蛇の姿で再生した。ある時道を横切っていたところへ,血で真っ赤に輝く腰蓑を女から奪い,意気揚々と踊りながら来る若者の一群に出会う。それまで女は,もともと原初の母すなわち大地が身につけ,大地とその息子ジャカルの近親相姦で流れた血に赤く染まったこの腰蓑の威力によって男たちを支配していたのである。傍若無人な若者たちに怒った蛇=老人は,禁を破って人間の言葉を発し,そのために即座に死んでしまうのである。こうして,この最初の死者の霊を担う大蛇の仮面が作られるようになったという。こうして出現した仮面は,狩猟で殺される動物を表す仮面とともに祭礼に登場するのである。生と死の媒介者としての仮面は,通常を超えた高いエネルギーを帯びているとされ,特定の儀礼を経た者のみが管理できるというのもそのためである。また禁忌への違反=死の起源と結びつけられた仮面は,さまざまな災厄の防止はできないにせよ,災厄を吸収し同化するとされる。ネガティブなエネルギーを負荷され,不可視の世界へと退場することによって,日常の世界の秩序を保つのも,媒介者としての仮面の役割の一面である。日本の〈鬼〉の仮面,西欧の農村社会における〈魔女〉〈悪鬼〉の仮面はこの側面に対応する。
不可視の世界,霊界からの来訪者であれ,災厄の担い手としての鬼であれ,仮面は日常の世界に〈出現〉し,〈退場〉していく。それは心的エネルギーの解放と収斂の,神話的宇宙論的次元をもった象徴装置といえよう。そうしたものとして仮面は,人々によってただ単に身につけられるものではない。神話と結びついて,その製作,操作,保存は特殊な条件のもとで,特定の人々によって秘密の雰囲気の中で行われるという例も少なくない。そして,仮面を担う者自身,〈現代人が仮面を使い分ける〉という時のような意識的な着脱自由の〈もの〉とみなしていないことが多い。仮面をつけている時,その霊的存在がそこにいるのであり,担い手は霊的存在そのものであるともいえよう。その心理状態は,人格変換とも呼ばれる憑依(ひようい)状態に近いとも考えられる。仮面は単に顔の部分を覆うだけでなく,通常,衣装を伴い,体全体が変貌するのである。仮面を通じて発せられる声は通常の声とは異なったものとなり,また視野のありかたも変化する。南インドの仮面劇の仮面のように,顔をすっぽりと覆って一種の酸欠状態を起こすとされるものもある。生理的な意味でも仮面は,人格の変換を助ける装置であるとも考えられるのである。また仮面は,日常とは異なり,人間とは異なる身ぶりを誘発し解放する。日常言語と顔の表情を中心とした通常のコミュニケーションは,人間の顔を覆ってしまう仮面によって中断され,常ならぬ声と身体言語による日常を超えたコミュニケーションに置き換えられ,人間を超えた霊へと,あるいは人間以前の野生へと人間を送りこむ。
世界各文化に見られる仮面は上記のような共通性をもっているとしても,仮面の具体的な形姿,構造(しかけの有無,大きさ等),素材,仮面にかかわる社会関係(担う者,性別による禁忌),仮面の登場する祭礼のあり方などは,実に多様である。また前述のエトルリア以外にも,トロイアの黄金の仮面,古代エジプトのミイラにつける紙製・布製の仮面のような弔葬用仮面もある。死者に仮面をかぶせる慣習は古代ペルー,中央アメリカにもあった。儀礼での着用を目的としない仮面としては,日本の東北地方の竈(かまど)の守護のためその上の柱にかける竈神の面などもある。仮面がなんらかの意味で,通常の知覚世界を超えるだけ,その超え方には人類の幻想の能力の多様な可能性が発揮されるともいえよう。とはいえ,多様性の中にもおおまかな傾向は見いだせる。人間社会を独自の方法で変形して表現する仮面劇,例えばコメディア・デラルテ,狂言などの仮面を別にすれば,仮面は,人間を超えた〈霊的存在〉,すなわち,精霊,死者の霊,神霊等を表すものと,自然界から人間の世界へと介入し,媒介する動物(動物霊ともいえる)を表すものとにおおまかに分けることができよう。人物面も,霊的存在の面も,動物霊の面も,さまざまな程度にデフォルメされた表情要素を備えている。個々の表情要素,目,鼻,耳,口,額,頰,顎などが,過大(異様に飛び出した目,大きく開かれた口,バリ島のランダの面の長くたれ下がる舌など),過小(北アメリカのインディアン,クワキウトル族の女食人鬼ゾノクワの閉じられたあるいは落ちくぼんだ目)の変形,非対称の変形(鬼やとりわけ道化のゆがんだ顔,片目を閉じた顔),異物の付加(瘤,牙など)などによって形づくられる。
単なる変形にとどまらず,仮面の形体そのものの中に,時間と空間そして宇宙を凝縮するための表現方法の追求が見られるものもある。表情要素は単純化されながら,額に日月の印を置くことによって,光と闇,陽と陰,森羅万象をとりこむチベットの面や,四方位と中心,五大元素に対応する五色の彩色によって宇宙を凝縮するアジアの仮面もある。仮面が突然開いてその下からもう一つの面が現れ,事態の流れに突然の変化がもたらされるという,紐で操作するしかけのある仮面は,とりわけ北アメリカのインディアンによって発展させられた。
刻々変化する現実の人間の表情に対し,変化しない仮面は,そのぶんだけ表現を貧しくするのではなく,表情とはまったく異なった方法を代置することによって,人間を超えた不可視の世界,あるいは人間以前の野生の活動力の世界へと人々を誘いこむのである。例えばそのものは簡素なコメディア・デラルテの面や能面は,表現を身体全体に拡大し,身ぶり表現を解放する。
仮面の出現は,通常を超えたエネルギーの負荷であり,解放であり,非日常の世界への回路の開放である。したがって仮面がしばしばさまざまな禁忌にとりまかれているという事実もふしぎではない。それはまた原初の時を再現することによって日常の秩序にエネルギーを再注入する時--祭り--でもある。仮面が,男を成員とする特殊な集団によって管理され,仮面の出現が同時に男子にとっての通過儀礼の時でもあるという例も少なくない。女の手によって仮面が世界にもたらされ,後に秩序の保持者としての男に渡されたという神話は,パプア・ニューギニア以外にも,北アメリカのインディアンなどに見いだされる。仮面-秘密結社-イニシエーションの結びつきは,メラネシア,アメリカ・インディアン,アフリカの諸社会に広く見いだされた現象である。リベリアのポロ結社は比較的よく知られた例であり,しかもここでは,女性もサンデと呼ばれる独自の結社をもっているという点で特徴がある。それぞれの結社は,地域の首長領を横断して組織され,社会生活上も重要な役割を果たしている。サンデ結社は,もともとの土地の支配者たる〈水の霊〉とされるゾグベの仮面を核とし,3年間社会を統制し,秩序と豊饒をもたらすとされる。3年の間は,社会は女性の支配に服し,その間に地域の各単位でゾグベの出現する祭礼が行われる。これが一巡すると,1~2年の休止をおいて,4年間,男子のポロ結社が社会を統制し,各単位で男子のイニシエーションが行われる。4年の間男子は親もとを離れ人里から隔離され結社によって一人前の男としての訓練を施される。4年後男子の帰還も大きな祭りによって祝われる。外部の者には決して見ることのできないポロの大精霊は(この点でゾグベの仮面と対照的である)神話の中では,始源のサンデ支配の時代にひき続く戦争の時代に,男たちによって森の中で発見された恐ろしい邪霊であるとされている。そのもとで男子は,母親からの独立と戦士としての訓練をうけるとされているのである。
こうしたポロ結社とサンデ結社の例は,男の世界,女の世界それぞれが仮面を核として統御され,一方はあまりに高いエネルギーの負荷のため一般の者からは不可視にとどまり--そして戦争・破壊と結びついている--一方は,日常の世界に活力を与えるために定期的に人々の前に出現する--豊饒と〈良い〉秩序のために--という興味深い対比を示す例である。仮面の存在が,社会の深い象徴的秩序を担っている例をそこに見ることができる。
→仮装 →身体装飾 →身体変工
執筆者:渡辺 公三
出土品の仮面では,シュリーマンの発掘したギリシアのミュケナイの黄金仮面が古来有名である。金の薄板製で,死者の相貌を写したとみられるほど写実的な表現をとり,被葬者の顔に着装されていた。この種の死の仮面は死者のパーソナリティの保持の機能を果たす。死の仮面は古代エジプトに多く,西アジア,ヨーロッパの先史・原史時代にも点在する。前7世紀のエトルリアの青銅仮面もその種のもので,骨壺にかけられ,後にはそれが顔面を直接表現した骨壺に転ずる。これをうけた古代ローマでは,麻と蠟による死の仮面が葬儀に使用され,家屋内に死後掲げる習俗となる。死者のパーソナリティの保持としては,棺や墓標に顔や胸像を彫刻することと共通の背景をもつとみることができるし,古代ローマの肖像彫刻の盛行とも無関係ではない。この点で,頭蓋骨にプラスターで肉づけし,目に貝を嵌入した新石器時代初頭のパレスティナのイェリコからの出土品は,個性的な表現をしており,まとめて聖所に安置されていたものらしい。この種の死の仮面の系譜の最初におくことができよう。
東方における写実的な死の仮面の例は,紀元後から4世紀ごろまで,シベリアのミヌシンスク地方に盛行したタシュティク文化にある。先行するタガール文化に萌芽したこの仮面は,顔あるいは胸部までを型取りし,良質粘土で成形彩色したもので,被葬者の顔にのせる場合と別置する場合とがあった。この地方から北部ユーラシア一帯には,その後の時代に墓標に人物像を彫刻する習俗があることを併せ考えると興味深い。さらに中国では,遼代の銀,金銅,銅製の死の仮面とされるものがあるが,個性的相貌表現の意図はうかがえない。中南米の古代文化にも,土製や石製あるいは貴石製の仮面が出土しており,死の仮面も多い。死者を悪霊から守護する仮面,死霊を封じる仮面など,さまざまの機能があったものと推定できる。
生者のつける仮面は,その仮面に仮託されたパーソナリティの委譲の機能をもつ。それは人間のみに限らない。旧石器時代の絵画や刻画にみえる〈呪術師〉,たとえば有名なフランスのレ・トロア・フレール洞の〈呪術師〉は,牡ジカの角,フクロウの顔,狼の耳,ヤギの鬚,熊の前脚,馬の尾をもつとする解釈がある。仮面を含めて,仮装によって,狩猟の獲物を威圧する超人的能力が付与されたのであろうか。宗教祭儀,戦闘,演技などに使用されたであろう生者の仮面は,特に副葬や埋納せぬ限り,遺存する可能性は少ない。わずかに,イギリスの中石器時代の遺跡スター・カーその他から出土している,雄ジカの角のついた前額骨がある。それらは,頭部に着装しやすいように加工され,さきの〈呪術師〉の頭部の雄ジカの角のように使用されたと推定されている。古代中国に饕餮(とうてつ)仮面(饕餮文)の存在を推測する説もあるが,遺存例はない。
日本では,東日本の縄文時代後・晩期に土製仮面(土面)があり,土偶にも仮面着装を表現したものがある。土製仮面は,古くは大型で,目と口の位置に孔をうがち,ゆがんだ顔を表現している。しかし,のちには小型で,孔がなく,整った表現のものとなる。この小型品は,額につけたとする説もある。土製仮面のほかに,鼻,耳,口の土製品があり,木や皮革にとりつけて仮面としたと考えられており,有機質の仮面が広く用いられていた可能性をうかがわせる。西日本では,縄文時代中期の貝製仮面とされるものが九州にある。縄文仮面の伝統は弥生時代以降には連続していない。弥生時代中期,東日本にある再葬墓習俗地域には,顔や頭を表現した葬儀用壺が骨壺とともに出土するが,仮面との関係は不明である。歴史時代の大陸文化の渡来とともに出現する演技用仮面までの仮面の空白期間は,仮面儀礼の欠如を示すものか,今後検討を要する。
執筆者:田中 琢
日本の仮面は,原始時代の呪術的な土製仮面から一つの断絶をへて急に発展した歌舞・演劇的な伎楽面(伎楽)に移行する。6世紀ころ,仏教文化の渡来とともに日本にもたらされた伎楽は,当時の中国大陸で,西方起源らしいあとを残しながら形成されたものと考えられ,日本では7~8世紀を通じて,宮廷とおもな寺院に拠って栄えたが,やがてその地位を舞楽に明け渡す。舞楽の面も歌舞・演劇的な仮面に属するが,伎楽面に演劇性が強いとすれば,こちらは歌舞性が強い。それは仮面表現上,前者に写実性が強く,後者に象徴性が強いということを意味する。そして舞楽が8世紀にはいってきた諸外国の楽舞を日本的に整理・統合したものであり,その完成が9~10世紀ころとすれば,舞楽面の完成もそのころと考えられ,その表現には日本固有のものが認められるといえよう。これ以後舞楽は宮廷の儀式はもちろん,中央の社寺の祭礼,法会に必須のものとなり,全国的に普及して近世にいたり,舞楽面遺品も北は青森から南は宮崎まで,七十数ヵ所,500点を超える。
このような舞楽面遺品の大部分は中世の作品で,中世における舞楽の重要性を語っている。一方中世文化の基調に大きな比重を占める神道と仏教の融合,そこに生まれた独自の宗教的行事もまた仮面を育てていた。11~12世紀に一応の形を整えていった落慶供養会や舎利会,来迎会,放生会などの法会に用いられた行道面がそれである。なかには同時期の舞楽面と不即不離のものもあるが,一部はそのころ盛行しだした祇園御霊会などの神幸に登場する獅子舞や王舞の仮面とその系統を同じくするものがあり,それらは伎楽面の一部とかかわり,さらに古く,原始呪術的な災払いあるいは露払い的な役柄とかかわっている。また大晦日や修正会,修二会の結願日に行われていた追儺会(ついなえ)や鬼追い,鬼走りなどと呼ばれる行事は各種の鬼面(追儺面)を育て,その魔除け的性格は,中世村落の中心的存在であったと思われる地方の小社寺に残る奉納鬼面や鬼瓦的な木彫面と無縁ではない。これらの鬼の性格は森羅万象の精霊でもあり,やがて能・狂言の母胎である猿楽・田楽の仮面中に取り込まれていく。この猿楽・田楽はまた,長い中世の間に,五穀豊穣,不老長寿,天下泰平など人間生活の根底にある願望を象徴する翁舞の仮面をも取り込んだ。この翁面は始源は明確でないが,東南アジアの一地方に残る仮面と同巧の工作があり,はるか遠い時点での関連が想像される。能・狂言は中世末期に猿楽・田楽から脱皮して大成し,近世に栄えた楽舞で,その歌舞と演劇の日本的な巧緻なないまぜは仮面にも微妙なニュアンスを与え,世界にも類をみないほどの多種多様な仮面をつくりだした。同時に,前述のような仮面の原始的・呪術的な一面をも今日に伝えていることはみのがせないし,近世の神楽面(神楽)をはじめとする土俗的な仮面は多く能面・狂言面を基としている。
なお,〈仮面〉という語は中国では古くからみられるが,日本では中国の影響の強い時点や事がらに限って用いられたようで,平安・鎌倉時代では〈面形〉と書き,和訓で〈おもてかた〉といったようである。それは神の御霊代を〈形代(かたしろ)〉というのと関連があり,能楽師が現在も能面を〈おもて〉と呼ぶのに通じるように思われる。
→仮面劇
執筆者:田辺 三郎助
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…1904年にイギリスを離れた後は,12年にモスクワ芸術座で《ハムレット》を演出するなど,実際活動はわずかしかしていない。1908年以後イタリアに住み,雑誌《仮面》を創刊,編集して自らの理論の普及に努めた。彼によれば,劇は戯曲,俳優,装置,照明,効果などが一体となる総合芸術で,それを統一するのは演出家であり,俳優は演出家に従属する〈超マリオネット〉となる。…
…〈演戯者〉は素人か専門技能者か,さらには俳優としてそれを職業とするものか,その組織のされ方,社会的身分はどういうものか,またその演戯はどのような要素(言葉,身ぶり,歌,踊り等)をもち,どのような様式に従い,どのような訓練を必要とするものか。〈劇場〉は仮設か常設か,社会のどのような空間に位置し,社会生活のどのような時間に機能するのか,劇場内部の舞台と客席の関係はどのような構造か,舞台形象の構成要素はどのようなもので何が優先するか(装置,仕掛け,照明,衣装,仮面,化粧等。それと演戯との関係),劇場の組織・興行形態はどのようなものか(有料か無料か,観客動員の仕方,補助金等)。…
…イタリアのコメディア・デラルテ,日本の能,ギリシア悲劇等,確立した劇のジャンルとして存在するもの以外にも,仮面劇の裾野は世界各地の伝統演劇,民衆演劇の中に広がり,また仮面と変装を伴う儀礼と交錯している。仮面そのものが日常世界への非日常的存在の出現であり,その起源を語る神話と結びついて劇的な構造を内包しているのである。…
…そして数個の村が集まって一つの地域共同体を形成し,ホゴンと称する政治的・宗教的権威を帯びた首長をいただいている。この首長のもとに仮面結社や年齢集団の組織が確立されている。 ドゴン族は,その特有な仮面を用いた踊りでつとに知られている。…
…政治的な機能をももち得た秘密結社が海岸地方で見られたが,とりわけバンクス諸島で発達した。儀礼に伴って仮面が発達しており,超自然的なものをあらわす特定の人間によって身につけられる。 低地では造形芸術や写実的な芸術が非常に進んでおり,今では博物館の収集品の対象になっている。…
※「仮面」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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