難波野村(読み)なんばのむら

日本歴史地名大系 「難波野村」の解説

難波野村
なんばのむら

[現在地名]大垣市難波野町

東を揖斐いび川が南流し、水門すいもん川左岸の低平地、大垣輪中の南部に位置する。北は牧新田まきしんでん村・深池ふかいけ村。南波なんば(現安八郡輪之内町)野方の開発によって成立したため、初め上難波村と称し、南波村を下南波村という(新修大垣市史)。宝永元年(一七〇四)の濃州川々取払普請所絵図(林家蔵)によると、南波村は当村に対して現在と同じく揖斐川対岸にあり、これ以前に流路の変化があったものと考えられる。江戸時代を通じて大垣藩領。慶長郷帳に上難波村とみえ、村高一七三石余。正保郷帳には難波野村とみえ、田高四二石余・畑高四九石余・野年貢二六石余(岩瀬文庫本正保郷帳では高三〇九石余)

難波野村
なんばのむら

[現在地名]宮津市字難波野

天橋立の北、大垣おおがき村の東に続く。

慶長検地郷村帳にみえる「府中郷」に含まれていたと思われるが、その後個別に高付され、延宝三年郷村帳に「府中難波野村」高七九・一八九石と記される。同九年(一六八一)の延高によって一一一石余となった(天和元年宮津領村高帳)

幕末期の戸口は二一軒、一〇一人(与謝郡誌)

村の北側山裾に千体仏と称して多くの板碑が集められている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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