雨宮渡(読み)あめのみやのわたし

日本歴史地名大系 「雨宮渡」の解説

雨宮渡
あめのみやのわたし

[現在地名]更埴市雨の宮

川中島合戦の戦跡の一つ。「甲陽軍鑑」によれば永禄四年(一五六一)八月、上杉謙信は一万三千の軍勢西条さいじよう(妻女山とも)に陣取り、武田信玄の北信地方押えの基地海津城を攻める構えをとった。これを知った信玄は八月一八日に甲斐甲府を出立、同月二四日に川中島に到着し、「雨宮の渡を取切」って越後勢に対した。当渡を甲州勢に押さえられ、越後への退路を絶たれた謙信だが、その後も西条山を動かず、同月二九日、信玄の軍勢二万は「広瀬の渡」(現長野市松代町東寺尾と同西寺尾の間という)を渡って海津城に入った。

しばらく両軍対峙が続くが、翌九月九日、武田方は軍勢を二手に分けて西条山を攻撃する動きを見せ、このことを察知した謙信は、信玄の裏をかいて夜のうちに当渡をひそかに渡り、川中島へ進出した武田軍と合戦となる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

関連語 詩碑 朝食 口碑

二十四節気の一つ。元来,太陰太陽暦の 12月中 (12月後半) のことで,太陽の黄経が 300°に達した日 (太陽暦の1月 20日か 21日) から立春 (2月4日か5日) の前日までの約 15日間で...

大寒の用語解説を読む