雨田光平(読み)アマダ コウヘイ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「雨田光平」の解説

雨田 光平
アマダ コウヘイ


職業
箏曲ハープ奏者 彫刻家

肩書
京極流家元

本名
雨田 外次郎(アマダ ホカジロウ)

生年月日
明治26年 2月1日

出生地
福井県 福井市

学歴
東京美術学校(東京芸術大学)彫刻科〔大正5年〕卒

経歴
東京美術学校彫刻科在学中に箏曲京極流の鈴木鼓村師事。卒業後の大正9年渡米、デザイナーの傍らハープを学び、さらに14年パリでマルセル・トゥールニエにハープを師事。昭和6年京極流2代目を継ぐ。戦災を避けて帰郷し、以後地元福井で活躍した。彫刻でも国際的に活躍し、文帝展無鑑査。作品に「母と子」「岡倉天心像」など。日本ハープ協会顧問。

受賞
勲五等双光旭日章〔昭和43年〕 中日文化賞(第12回)〔昭和34年〕

没年月日
昭和60年 11月14日 (1985年)

家族
長男=雨田 光示(ハープ奏者),息子=雨田 光弘(チェロ奏者)

伝記
竪琴の調べ―父・雨田光平について 雨田 光示 著(発行元 海越出版社 ’91発行)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「雨田光平」の解説

雨田 光平
アマダ コウヘイ

昭和期の箏曲家,ハープ奏者,彫刻家 京極流家元。



生年
明治26(1893)年2月1日

没年
昭和60(1985)年11月14日

出生地
福井県福井市

本名
雨田 外次郎(アマダ ホカジロウ)

学歴〔年〕
東京美術学校(現・東京芸術大学)彫刻科〔大正5年〕卒

主な受賞名〔年〕
中日文化賞(第12回)〔昭和34年〕,勲五等双光旭日章〔昭和43年〕

経歴
箏曲を鈴木鼓村に師事、後に京極流宗家となる。大正9年渡米、デザイナーの傍らハープを学び、さらに14年パリでマルセル・トゥールニエにハープを師事。戦災を避けて帰郷し、以後地元で活躍した。彫刻でも国際的に活躍し、文帝展無鑑査。日本ハープ協会顧問。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「雨田光平」の解説

雨田光平 あまだ-こうへい

1893-1985 昭和時代の箏曲(そうきょく)家,彫刻家。
明治26年2月1日生まれ。東京美術学校(現東京芸大)彫刻科在学中に箏曲京極流の鈴木鼓村に入門。卒業後アメリカ,フランスでハープ,彫刻をまなぶ。昭和6年京極流2代目をつぐ。戦後郷里の福井県で活動した。昭和60年11月14日死去。92歳。本名は外次郎。作品に「母と子」「岡倉天心像」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の雨田光平の言及

【京極流】より

…ただし,鼓村は京都に伝承される生田流をも伝え,その古典の伝承にとくに改革を試みたわけではない。鼓村の高弟の雨田光平(1893‐1985)はその伝承者として知られた。【平野 健次】。…

【鈴木鼓村】より

…特異な存在で,文人たちの間に人気があったが,大正中期に再び京都に戻ってからはしだいに衰微。彫刻家でフランスでハープを学んだ雨田光平(1893‐1985)が後を継いでいる。代表作に史曲《静(しずか)》《橋媛(はしひめ)》《厳島詣(いつくしまもうで)》(以上高安月郊作詞),雅楽風小曲《紅梅》,童曲《雁と燕》《狐の嫁入》(以上薄田泣菫作詞)などある。…

※「雨田光平」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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