鈴木鼓村(読み)すずきこそん

改訂新版 世界大百科事典 「鈴木鼓村」の意味・わかりやすい解説

鈴木鼓村 (すずきこそん)
生没年:1875-1931(明治8-昭和6)

箏曲家。京極流創始者本名映雄(てるお),後名那智俊宣(としのぶ)。宮城県出身。九州系の山下検校(1848-1918)や東京華族女学校の高野茂(1846-1929)に生田流箏曲,野田聴松に筑紫箏を学ぶ。日清戦争従軍後,京都府立第二中学の教員をしながら箏曲教授や作曲をする。新体詩人の薄田泣菫与謝野晶子,北原白秋らと交流し,彼らの詩に新形式の歌を作曲。また童曲や史曲(歴史的題材の曲)も作曲し,のちの新日本音楽運動の先駆となる。1907年(明治40)ころから大正中期まで東京に居住し,みずから京極流を名のる。男子は衣冠束帯して雅楽風に安座し,女子は俗箏式に正座して,箏だけで弾き歌い,三味線は合奏しない。特異な存在で,文人たちの間に人気があったが,大正中期に再び京都に戻ってからはしだいに衰微。彫刻家でフランスでハープを学んだ雨田光平(1893-1985)が後を継いでいる。代表作に史曲《静(しずか)》《橋媛(はしひめ)》《厳島詣(いつくしまもうで)》(以上高安月郊作詞),雅楽風小曲《紅梅》,童曲《雁と燕》《狐の嫁入》(以上薄田泣菫作詞)などある。また日本音楽史の研究家としても知られ,主著に《日本音楽の話》(1913。のちに《日本音楽の聴き方》(1924),没後に雨田光平編《日本音楽史》(1944)として復刻),《耳の趣味》(1913。雨田光平編《鼓村襍記(しゆうき)》(1944)に再録)がある。ほかに《箏曲譜》24巻を1913-15年に出版し,洋式五線譜も採用して《箏曲集》1・2編(1914)も出版している。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「鈴木鼓村」の意味・わかりやすい解説

鈴木鼓村
すずきこそん

[生]1875. 宮城
[没]1931.3.12. 京都
箏曲家,作曲家。京極流の創始者。本名映雄 (てるお) ,別名那智俊宣。幼少から母に箏曲を学び,のち華族女学校の箏曲教師高野茂らに生田流箏曲を学んだ。明治後期に,高安月郊,薄田泣菫,蒲原有明与謝野晶子,北原白秋らの新体詩を用いて新様式の箏曲を作り,京極流を樹立した。代表的作品に『厳島詣』『紅梅』などがあり,『日本音楽史』その他の著作もある。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「鈴木鼓村」の解説

鈴木鼓村 すずき-こそん

1875-1931 明治-昭和時代前期の箏曲(そうきょく)家,日本画家。
明治8年9月9日生まれ。陸軍時代に箏曲,洋楽をまなぶ。高安月郊,与謝野(よさの)鉄幹夫妻らと交流し,新体詩に作曲して新箏曲を提唱,京極流を名のる。日本音楽史にくわしく,晩年は大和絵古土佐に専念。昭和6年3月12日死去。57歳。宮城県出身。本名は映雄(てるお)。別号に那智俊宣(なち-としのぶ)。著作に「日本音楽の話」,作曲に「紅梅」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の鈴木鼓村の言及

【京極流】より

…箏曲の流儀名。1901年鈴木鼓村(こそん)が創始したもの。鼓村は大阪の明治新曲運動とはやや異質ではあるが,三味線に従属しない純粋の箏曲を目ざし,史曲,小品,雑曲,童曲,舞曲,劇曲などと分類した文芸的に高踏的な詞章による箏の弾き歌いの作品を数多く作曲し新流を称した。…

※「鈴木鼓村」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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