雨畑金山跡
あめはたきんざんあと
[現在地名]早川町雨畑
雨畑川流域に展開し、とくに近世期を中心に栄えた金山を総称する。「甲斐国志」の雨畑村の項に「界内凡方八里阿部山ヘ連貫シテ金礦多シ、渓水九道合シテ雨畑川トナル水至テ清澄、生麩金ヲ産シ里人生業ノ助トス」とある。雨畑村は甲斐国内でも有数の産金地であり、とくに雨畑川左岸(西側)は中世末期以来採掘されていた北方の保金山と南方の駿河国安倍金山(現静岡市)とに続く鉱脈があり、産金豊富で、寛文(一六六一―七三)から延宝(一六七三―八一)期にかけては金鉱が精力的に開発されていた(佐野弘家文書・佐野政男家文書)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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