雲井城跡(読み)くもいじようあと

日本歴史地名大系 「雲井城跡」の解説

雲井城跡
くもいじようあと

[現在地名]庄原市高町

芸備線たか駅東方約一・五キロの地にある雲井山(要害山)を中心に広範囲に構築された中世の山城跡。「芸藩通志」に「伝へいふ首藤通資此城を築き、山内滝口九郎通英をして守らしむ、或は田中河内、滑兵庫等を置くとも」とある。

要害ようがい山と尾根続きの前要害まえようがい山に支城福山ふくやま城跡がある。要害山南方約一・五キロの篠津原しのつはらには武士の集落跡があり、小用およう池と高池の中間に堀と土塁をめぐらした館跡がある。篠津原から福山城跡に至る南北約二キロ、東西約一・五キロの山中に郭・館・堀・石垣・土塁・道などが構築され、一大要塞地帯をなす。これら全施設が同時代に機能したか否かは不明であるが、広範囲にわたるので篠津原城とも呼称されてきた。

じび庄の地頭山内氏は、応安七年(一三七四)七月二二日の今川頼泰預ケ状(山内首藤家文書)によると、高郷地頭職を得ており、高村に勢力を伸ばすが、山内豊成の時代には大富山おおとみやま(跡地は現比婆郡西城町)に拠る宮氏が高村を支配したこともあり、争いが続き、山内氏は宮氏や山陰尼子氏と対するため雲井城を強大なものにしたと思われる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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