改訂新版 世界大百科事典 「雲夢」の意味・わかりやすい解説
雲夢 (うんぼう)
Yún mèng
中国で先秦時代の古い文献にみえる楚の国の地名。単独で雲,あるいは夢とも称される。この解釈をめぐって古くから議論があり,中国歴史地理の重要な問題の一つであった。現在では,雲夢とは長江(揚子江)中流域,今の湖北省中央部に形成されていた湖沼を中心に,周囲の山野をも含む広範囲を呼んだものと考えられている。その中央にあった湖沼は,この地点で長江に流入する漢水や沮水(しよすい)などの支流の流量を,自然に調整するために形成されていた遊水池の一つで,今の江陵県(楚呉の都,郢(えい)のあったところ)の東,漢水と長江の中間を広く占めていたもので,その範囲は降水量や氷河の伸長などによって一定してはいなかった。また一部は漢水の北にまで及んでいたが,春秋時代には大部分が陸化し開拓されていた。上流部の開発とともに,湖沼周辺では自然堤防や内陸デルタの形成がすすみ,湖沼はしだいに縮小し,耕地化してゆく。南朝末には小規模な湖沼に分散し,雲夢沢の名も失われた。また古い状態についての知識も薄れ,古典の注釈は現実性を欠くことになった。現在湖北省孝感地区には雲夢県があるが,かつての雲夢の最も縁辺部に位置する。1975年,雲夢県睡虎地の11号秦墓(睡虎地秦墓)より1000枚以上にものぼる秦代の竹簡が発見され,戦国から秦にかけての歴史研究に,きわめて貴重な史料を提供している。
執筆者:秋山 元秀
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報